空から日本を見てみよう ― 高野山 ―

目次 

  

1.橋本市

今日は2015年3月31日放送の空から日本を見てみようで紹介された高野山周辺について調べてみた。

まずは橋本市wikipedia:橋本市

 

人口は約6万人。

縄文時代から人が住んでいた遺構が残っている。

陵山古墳和歌山県最大の円墳。3段の墳丘で、周濠がめぐらされている。

高野街道と伊勢街道が交差する要衝に位置し、高野山への参詣口でもあった。

中世にこの地を支配していた牲川(にえかわ)氏が築いた長藪城は秀吉に滅ぼされたが、城跡の遺構は今も残っており、周遊できる。(ほぼ登山道に近い)

江戸時代には陸運の他に紀の川の水運の陸揚げ地でもあり、物資の集散地であった。

また、養蚕や機織りなども盛んであった。 

紀伊藩主が来泊していた本陣、旧池永家住宅は江戸時代から残る大規模商家屋敷である。主屋、表門、土蔵、離れ座敷が国の有形文化財に指定されている。

橋本駅、旧池永家住宅の対岸にある黒河道(くろこみち)高野山に通ずる7高野参詣道の一つであり、世界遺産に登録されている。定福寺を基点に約18kmの道のりだ。 

JR和歌山線の二つ隣、旧高野口町の中心駅である高野口駅付近もかつては参詣の入口であった。駅前には明治時代に参詣客が数多く宿泊した葛城館の建物が残っている。

駅裏にはかつてこの地の重要な産業であったパイル織物の資料館も建てられている。

また、日本最大級の木造校舎である高野口小学校は1937年建造で今もなお現役である。国の重要文化財に指定された。

その他、人魚のミイラで知られる苅萱堂鎌倉時代北条時頼が再興した利生護国寺、日本最古の金石文の一つと言われる人物画像鏡を所蔵する隅田八幡神社、奇岩・瀑布が連続する玉川峡などが名所として知られる。

 

2.九度山町 

続いては九度山町(くどやまちょう)wikipedia:九度山町

人口は約3800人。

 

地名の由来は高野山開祖の空海の母がこの地の慈尊院に暮らしており、月に9度母に会いに来ていたこととされている。 境内は高野参詣道の一つ、町石道(ちょういしみち)の一部に含まれている。本堂にある弥勒堂は世界遺産に登録されている。

その空海が地元神を祀った丹生官省符神社も町石道の一部である。

関ケ原の戦い後、真田昌幸・幸村父子が配流されていた地でもあり、蟄居していた場所ともいわれる真田庵真田ミュージアムなども町を代表するスポットの一つである。 

3.高野町 

最後は高野町(こうやちょう)wikipedia:高野町

人口は3千人弱。

 

高野山を中心とする寺社が中心の町。

平安時代真言宗を開いた空海が、土岐の嵯峨天皇から賜った日本仏教の聖地の一つ。周囲を1000m級の山々に囲まれた盆地一帯を高野山と呼んでいる。

山内は全て金剛峯寺の境内ということになっている。

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創建は816年。一時荒廃するが、1016年頃から定誉が再興に着手、今もなお奥之院に1000年以上燃え続ける灯明、持経灯を捧げたと言われる。

中心となるのは金堂、根本大塔など堂塔が並ぶ壇上伽藍.

東へ進んで行くと、空海入定の地と言われる奥之院

 

本堂の北には徳川家康、秀忠を祀る廟堂が建つ徳川家霊台

 

日本国内最大級の石庭、蟠龍庭も見どころの一つ。

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文化財を展示している、高野山霊宝館高野山への交通手段であるこうや花鉄道天空

高野山ケーブルカーも楽しみの一つである。 

 

金剛峯寺正門を通り抜けたところ。

1日で見て周れるのか悩む規模である。