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1.浪速区
今日は2015年4月14日放送の空から日本を見てみようで紹介された大阪環状線付近について調べてみた。
最初は浪速区。
人口は約7万6千人。
中世は野菜などを大阪城下へ供給する農村であった。
当初は大阪城の対岸にあった北区の天満青物市場へ運ぶ決まりであったが、距離が遠く不便であったため、商人と対立。品目限定で難波木津市場が開設された。
明治時代になり鉄道開業後は奈良や和歌山から木材・農産物等が集積。現在の木津地方卸売市場となる大きな市場ができた。現在でも日本屈指期の規模を誇る市場として地元民・観光客共に人気を博している。
明治時代にこの地で内国勧業博覧会が行われた。
博覧会に合わせて敷地及びその近辺が整備されたが、その一角が現在のでんでんタウンである。また博覧会跡地は大阪の新名所として「新世界」が誕生。
そのシンボルとして建てられたのが通天閣だ。初代通天閣は1943年火災の被害を受け解体。1956年に二代目通天閣が再建された。
21世紀に入りかつての工場や貨物駅の跡などが再開発される。中でもシンボリックなのが南海ホークスが使用していた大阪球場跡地に建てられた商業施設・都市公園・高層マンションなどの複合体であるなんばパークスだ。
2.阿倍野区
人口は111千人ほど。
古代、この地を支配していた阿倍氏の姓が区名の由来とされる。
2020年現在、日本一高いビルであるあべのハルカスが最大の観光地。
熊野神社の分霊社であった阿倍王子神社や南北朝時代に活躍した北畠親房・顕家父子を祀った阿倍野神社などが名所として知られる。
3.東住吉区
続いて東住吉区
人口は12万7千人超。
大阪府のほぼ中心に位置する。大半が住宅街で駅前を中心に商店街が発展している。
中でも大規模なのが大阪南部の台所と言われる中央卸売市場東部市場だ。
区の西部にはセレッソ大阪の本拠地であるヤンマースタジアム長居を含む長居公園がある。市内で第三位の面積を持ち、国際的な競技場にもなっている。
4.生野区
日本書紀に記載があり日本最古の橋(文書に記録のあるもの)とされる猪甘津橋(別称鶴橋)があった。現在は橋は残っていないがつるの橋跡と記された石碑が建っている。
大阪五低山の一つ、御勝山古墳や奈良時代に行基が創建した難波寺などが史跡として知られる。
古代には百済から渡来人が多く移り住んだ地であった。その後時代を経て大正時代以降主に済州島から多くの人が移り住むこととなり、現在も生野コリアンタウンとして商店街が発展している。
5.東成区
続いて東成区。wikipedia:東成区
人口は約8万4千人。かつては大阪市北東部の大半を占める広大な面積だったが分区が相次ぎ、現在の区域となった。住宅地が大半であり人口密度が高い。
6.中央区
最後は中央区
人口は10万人超。
古代の難波宮があったとされる。現在その跡は公園となっている。
官庁街やオフィスビル、高層マンションなどが並ぶ地区であるが史跡も多い。
坐摩神社や難波神社などの古社に豊臣秀吉が築いた大阪のシンボル、大阪城。
江戸時代までの舟運の要衝であった八軒家船着場跡。
大阪大学の前身であり、大村益次郎・大鳥圭介・福沢諭吉などを輩出した緒方洪庵設立の適塾跡。
東洋紡績役員家からの寄付をもとに1931年に建設された日本綿業倶楽部の施設である綿業会館は国際会議の場としても多く利用された。ルネサンス風のデザインも評価が高く重要文化財、近代化産業遺産に指定されている。
住友家を主とした社交クラブである大阪倶楽部は1914年に建設された建物の名でもある。現在の建物は1924年に再建されたもの。英国城館風の建物で現在も会員制会館として使用されている。
日本基督教団浪花教会は1877年に設立された日本初の自給協会。
日本で多くの建物を建築したアメリカ人建築技師ヴォーリズの設計で建てられた。
江戸時代に源流を持つ大規模商店街の黒門市場や歴史系博物館の先駆けであり地下1階に難波宮の遺構を保存している大阪歴史博物館も見逃せないだろう。
最後に忘れてはいけないアメリカ村。かつて木材加工業の倉庫が多い地区だったこのエリアに、倉庫を改造したアメカジファッション店が並ぶようになり流行の発信地となった。現在は一時に比べると影が薄いようだがそれでも大阪を代表する観光地の一つである。