遠別町 ― 最北の稲穂 ―

目次

 

 

1.遠別町の概要

今日は遠別町について調べてみた。

wikipedia:遠別町

 

人口は約2500人。農業漁業など一次産業が主要。

明治維新後、1869年に水戸藩支配下となる。

数年後開拓使が設置される。

和人の定住まではしばらくかかったが、1896年恩田駅逓が設置され、1922年まで遠別川の渡船も行っていた。

1897年共栄、中央、丸松などに入植が始まる。この年が町の開基とされている。

1899年に現在の市街地部分の貸下げが始まる。小樽~天塩間を運航する船も寄港するようになった。 

1903年天塩村から分村し遠別村が新設。1919年に二級町村制施行。

1926年に羽幌線が開通。木材、米、砂利などの運搬が船から鉄道へと変わっていく。

1949年町制施行し遠別町となる。

 

1950年頃からニシンの不漁が続く。

1955年から漁港の整備工事が始まる。現在はホタテの養殖が盛ん。

1983年うるち米からもち米に完全転換を図る。

 

2.遠別町の交通

かつては海岸線に並行して国鉄羽幌線が通っていたが、1987年廃止となる。

主要駅である遠別駅を中心に歌越駅、天塩金浦駅、丸松駅と啓明・北里仮乗降場が置かれていた。 

その羽幌線跡と並んで通称オロロンラインと呼ばれる国道232号線が町内を縦断している。市街地のやや南には1993年に道の駅えんべつ冨士見が設置された。 

近年リニューアルされ、新しく物産店などがオープンしている。

 

3.遠別町の観光

道の駅のすぐ裏手には日本海利尻富士を望める冨士見展望台。

海岸方面に進むとキャンプ場や海水浴場みなくるびーちが整備されている。

さらに南側には金浦原生花園、山岳部へ進むと宿泊施設も備えた旭温泉がある。

 

市街地よりも北部には最北の米どころの木柱、旧丸松小学校を改修した遠別町郷土資料館などが見どころ。町の歴史を知ろう。

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カントリーサインには稲穂とメロン、雪の結晶。

流れる水のようなものは水田?遠別川?日本海
 

遠別川を上流部へ進んで行くと朱鞠内湖北岸へつながる道道688号線が今も工事中。

ここには畑作中心だった東野、鉄道枕木用の木材を搬出しており上遠別駅逓も設置されていた大成、砂金掘りが往来するなど地下資源があるも大規模な採掘には至らなかった正修など僻地あるいは廃集落が存在する。

道もほぼ無いような時代に開拓が行われ、あまりの厳しい環境に住む人もほぼいなくなってから名寄まで通じる道路が開通することになるとは皮肉なものである。

 

もっとも1970年に路線認定されてから開通予定が2025年と、半世紀以上かかっただけあってかなりの難工事の様子。まだまだ予断を許さない状況であろう。