空から日本を見てみよう ― 有田~武雄 ―

目次

  

1.有田町

今日は2015年4月28日放送の空から日本を見てみようで紹介された佐賀県の有田町~武雄市について調べてみた。

最初は有田町。wikipedia:有田町

 

人口は2万人弱。

長崎県との県境に接し、町土の約7割が森林・山岳地帯となっている。

言わずと知れた有田焼の産地である。

豊臣秀吉朝鮮出兵に参戦した領主鍋島直茂は陶工たちを連れ帰ってきた。17世紀初め、その中の一人である李参平は白磁鉱を発見。近隣に天狗谷窯を開き有田焼の祖となった。

彼を祭神とする陶山神社は磁器でできた鳥居などが文化財として指定されている。

 

江戸期を通じ伊万里港から出荷された有田焼。陶工たちの町となった名残は幾つも残っている。

まずはトンバイ塀と呼ばれる、変わった塀。

登り窯を作るために使った耐火煉瓦や廃材を赤土で塗り固めて作られた塀である。

 

有田を代表する豪商であった田代家が、明治初めに買い付けにやってきた外国人の宿泊用に建てた施設が旧田代家西洋館(有田異人館)。和洋折衷の建物はこれも文化財に指定されている。

 

同じ頃に建てられた石倉を活用しているのが有田陶磁美術館

現在は収蔵品の展示を通じて有田焼の歴史を概観できる施設となっている。

 

陶工達の町から少し離れ、JRの有田駅近く市街地付近にあるのは佐賀県立九州陶磁文化館肥前及び九州全域の陶磁器について収集展示のみならず、調査研究・教育普及の場として設立された。

 

町の北には名勝地の竜門峡。新緑や紅葉が映える渓谷美が人気。

名水の地としても知られている。

 

2.武雄市

次は武雄市wikipedia:武雄市

人口は約4万7千人。

 

盆地や川沿いの平地が入り組む地形で、農業が盛ん。

おつぼ山には朝鮮式山城の跡とされる神籠石列石が残る。現在の研究では白村江の戦に関連して築城されたものと考えられている。

時代がくだって江戸時代には鍋島家の領地となった。武雄鍋島家の菩提寺である円応寺は桜並木が有名。

居城であった塚崎城の裏手にある御船山を借景として、28代鍋島茂義が造った庭園は現在も15万坪を超える巨大な池泉回遊式庭園の御船山楽園として四季折々の景色が人々を楽しませている。

 

その手前にも日本庭園が築かれた。こちらは昭和後期に中根金作が作庭した慧州園

御船山と茶畑、そしてこれも池泉が印象的な造りである。

 

また、武雄市文化会館にも武雄鍋島家の旧庭園が残されている。

 

庭園が多い武雄市だが、1200年前に開湯されたという武雄温泉が町の最大の名所。

江戸時代には街道の宿場町として栄えた。大正時代に辰野金吾が設計した武雄温泉楼門新館は国の重要文化財に指定されている。

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中心部から少し離れた池ノ内湖には武雄温泉保養村佐賀県立宇宙科学館などが建てられ、桜やホタルも楽しめるレジャーエリアとなっている。