札幌史跡探訪 ― 山鼻公園 ―

目次

 

 

 

1.山鼻公園

今日は中央区の山鼻公園を探訪。

 

 

小学校の目の前にあり、いつも子供たちで賑わっている公園。

 

広場の真ん中に大きな碑が建っている。

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山鼻兵村開設碑 とある。

 

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明治7年(1874年)に屯田兵村の開設が決定。その2年後に兵士とその家族がやってきたわけだ。

当時は鬱蒼とした原生林とのこと。

すすきのから徒歩圏内のこの場所だが、薄野遊郭が正式に営業開始となったのが1871年。山鼻とは藻岩山の端(はな)という地形がルーツとなった地名で、この頃すでに普及していたのかは不明。当時はまだまだ札幌の中心部以外は原野が多かったということだろう。

題字は永山武四郎。屯田兵生みの親とも言われる。

彼については以下を参照。

kamonji224.hatenablog.com

 

 

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記念碑は開基20周年を記念して建立とあったが、脇には81周年の記念祭に建てられた記念塔もあった。

 

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公園の周りは桜が植えられている。ちょうど満開だった。

 

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若干残念な状態になっているが、説明板も設置されている。

 

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記念碑の隣には大きな木が立っている。明治時代から残っているのだろうか。

 

2.山鼻村の概略

屯田兵村設置当時は札幌とは別の村。山鼻村と名乗っていた。

開設は屯田兵入村の2年前、数戸の農民が移住してきたのが始まり。

石山通りを中心に村づくりが進み、山鼻公園の北西に屯田中隊本部が置かれた。

1880年に戸長役場が現山鼻小学校に設置される。

1906年に円山村と合併し、藻岩村となる。