札幌史跡探訪 ― 藻南公園 ―

目次

  

1.藻南公園 

某月某日、天気の悪い日が続く札幌のGW。

この日はギリギリ雨が降っていなかったので気晴らしに公園へ。

車を走らせて南区の藻南公園へやってきた。

 

 

豊平川沿いに面する広めの公園。

バーベキュー広場もあるが、昨今の事情で当然閉鎖中。

 

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川沿いに設置された遊歩道には桜が植えられていた。

 

対岸は崖状になっており岩石が露出している。

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ピンクの花びらが満開。

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遊具が設置された広場。親子連れが楽しく過ごしている。

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遊具広場の北側も桜並木が整備されていた。

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2.おいらん淵

開拓の様子を描いたモニュメントが建てられていた。

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藻南公園は1949年に開園。

下流側は真駒内公園まで遊歩道が続き、上流側には札幌軟石の石切場が残っている。

札幌軟石は支笏カルデラの噴火によって発生した溶結凝灰岩。柔らかく加工に優れ、重量が軽く輸送に適し、保温性も良いとあって明治時代建材に奨励された。

 

対岸の露出した岩肌も同じ溶結凝灰岩かな。

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溶結とは堆積した火山の噴出物が熱によって溶けた後、重量で圧縮され気孔がなくなり密度が大きくなる作用。

同じ凝灰岩でも溶結していない凝灰岩は浸食されやすく渓谷ができやすいそうだ。

 

この辺りは豊平川の流れで最も深いところ。

明治末ごろ花魁が世を儚んでこの地に身投げしたという伝説から「おいらん渕」という名がついた。

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