目次
1.りんご並木
平岸街道から少し離れて白石中の島通を東へ進んでみる。
環状通と交わる辺りで一旦ストップ。
石碑が建っていたので、鑑賞。
ここには現在もリンゴ並木が保全されている。
平岸リンゴの沿革とこ後にリンゴ並木が作られた謂れ。
大きな石碑も建立されていた。
リンゴ並木は1974年に作られた。この碑は植樹から10年後に建てられたもの。
リンゴ並木自体は、環状通の豊平区役所~国道36号線間の中央分離帯になっている。
現在70本の木が植えられ、今もリンゴが収穫されている。
りんご並木の碑から月寒公園までは遊歩道になっている。
桜が咲いて散歩には心地よい気候。
月寒公園側から見た風景。
2.月寒公園
続いて月寒公園内を散策。
以前に家族連れで遊びに来た時の記事はこちら。
今日は前回訪れなかった史跡を中心に周ってみる。
まずはここ。
野球場のすぐそばに説明板がある。
旧陸軍及び進駐軍が射撃場として利用していたようだ。
続いて沼の向こう側、細い道を上って高台へ向かう。
大きな記念碑が建っていた。
月寒開基百年の碑。
月寒の開基は1871年。月寒村(つきさっぷむら)が設置された。
現在の北広島市の一部までを含むエリアで月寒は村の中心地であった。
さらに道を進む。
続いては忠魂碑。
日露戦争の戦死者の慰霊のために建立されたものだ。
第7師団の悲しい激闘も克明に記載されている。
ゴールデンカムイでも第7師団の登場シーンは多いよね。
どんどん進もう。
次は石碑が二つ並んでいた。
左手は開町五十年記念碑。
1902年豊平村、平岸村、月寒村が合併。新しく発足した豊平村は1908年に町政を施行し豊平町となる。開町五十年とは町政発足ではなく入植・開拓が始まって五十年ということで1920年に記念碑が建てられた。
右手は吉田善太郎の功労碑。
10才で両親とともに現在の盛岡市から月寒へ移住。
成人後用水路の建設や吉田農場の経営など月寒の開拓に貢献した。
用水路は現在吉田川という河川になり、豊平区と清田区の境界となっている。
吉田牧場は現在八紘学園(北海道農業専門学校)及びその牧場地となっている。
善太郎の孫である吉田善助はG1競走馬やノーザンホースパークの運営を手掛ける社台グループの創立者となった。
記念碑は木々に囲まれていた。
月寒公園の端っこは小さな広場。ここで一休み。
3.月寒神社
公園と並んで月寒神社が座している。
現在の地に建てられたのは1918年。
神様にはあまり興味がないが、寺や建物の構造・佇まいは何となく気になるこの頃。