札幌史跡探訪 ― 琴似屯田兵屋 ―

目次

 

 

1.琴似屯田兵村道の跡

琴似駅前の駐輪場入り口には下のような案内板が立っている。

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開拓の歴史の道について。

1874年に入植が始まった琴似屯田兵村。

その概略図と主な史跡が記されている。

 

琴似駅からやや南、今のホテルヤマチから琴似区役所までのエリアが屯田兵村であった。琴似本通りは当時から村のメインストリートで村内を東西に二分していた。

 

 

地図に描かれているように木製の道しるべ碑が数か所建てられていた。

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上の写真で黄色く塗られた屯田兵村の道のうち、西端の南北に通る道は川添通という名がつけられている。

ちょっと調べてみたところその由来は諸説あるようでここで述べるのは避けるが、この道を境に街の構造もかなり違っていたようである。

 

1948年の国土地理院地図の航空写真。

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青い線が屯田兵村の通り。

その間は碁盤の目の町になっており、両外は畑地がメインになっているのがよくわかる。とくに青い線の西側は琴似発寒川の影響を受けてか、家や田畑がかなりいびつな地割で構成されている。

 

 現在の地図を見ても川添通の西側、琴似3条・4条の道路はもう何が何だか(笑)

 

3条と4条の境目を見ると入り組んでいるが直線も多い。この辺りを琴似発寒川から分かれた小川や用水路が流れていたのだろう。

その南側、山の手地区はほぼ碁盤の目のように直線の道路ばかり。

北側の八軒も川添通の北部がカーブしているくらいでそれ以外は直線が基本である。

 

2.琴似屯田兵村兵屋跡

さて、JR琴似駅から地下鉄琴似駅まで歩いてきた。

ここでちょっと西へ曲がってみる。

ビルや住宅が並ぶ一角にひっそりと、しかし明らかに雰囲気の異なる建物が立っている場所がある。

 

 

それが琴似屯田兵村兵屋跡。

ようするに屯田兵が住んでいた家屋を復元したものだ。

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建物は1970年まで残っていたらしく、そのすぐ後1972年に復元された建物。

木造平屋で庭兼畑もあわせて当時のままにされたそうだ。

 

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入口には史跡であることを記した石碑が建てられている。

1982年に国の史跡に指定されたらしい。

残念ながらこの日はコロナのおかげで閉鎖されていたため入館できず。

 

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入口が陰になってしまい、ほぼ真っ黒に。

木目が特徴的な屋根は柾葺きという工法。

木を薄く裂いて重ねていく手法だそうだ。

 

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史跡指定時の説明板。

辛うじて外から撮影できた。

 

今回は訪れなかったが、ここからもう少し西に進んで上述の川添通にぶつかると、こちらも開拓以来120年の歴史を持つという浄恩寺がある。

 

屯田兵屋の入館が可能になったらあわせて訪れてみたいと思う。