札幌史跡探訪 ― 二十四軒 ―

目次

 

 

1.二十四軒公園

琴似神社を出て自宅へ戻る。

その前に1か所だけ最後に寄り道。

二十四軒公園へ立ち寄る。

 

 

野球場とその周囲に遊具がある広めの公園。

ここにある記念碑が目的。

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縦横2mほどの石と石板が並べて置かれている。

 

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だいぶ文字も薄れているが、白い文字で大きく百年記念碑と書かれている。

 

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碑文は近寄ってもほぼほぼ読めません。

ちょっと調べてみたところによると、昭和49年に琴似屯田兵入植百年記念で建立されたものとのこと。

 

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マンションなどの住宅街に囲まれた公園だが、敷地内は木も多く緑豊かな公園。

遊具も綺麗で新しそうだ。

 

2.二十四軒について

二十四軒のルーツは1871年に山鼻へ移住してきた人々にさかのぼる。

50戸の集落からなる辛未一ノ村と呼ばれたこの村は開拓使の意向で再移住することとなった。そのうちの24戸がやって来たのがここ二十四軒。つまり移住者の戸数がそのまま地名になったわけである。

 

 今昔マップより。

1916年の時点で琴似屯田兵村部は住宅が多く、その周囲が農地になっている。

その屯田兵村の東端の道が、現在の琴似と二十四軒の境目となっている。

1950年代までは住宅が点在している状態だが、1975年の地図になると途端に住宅街になっている。

 

1960年代の国土地理院地図の航空写真でもこんな感じ。 

 

北5条通り付近はそれなりに建物が建っているが、現在の地下鉄~JR付近はほぼ農地のようだ。

 

地下鉄が開業したのが1976年。その頃には二十四軒と琴似の間にも地下鉄に沿った道路が開通していた。その後1999年の宮の沢までの地下鉄延伸に伴って道路も延長、同年現在の二十四軒手稲通も全線開通した。

 

今では完全な住宅街の様相が強い二十四軒だが、特徴的な部分が幾つかあるのでちょっと調べてみた。

 

まずは札幌市農業協同組合本店。

住所はギリギリ中央区となる北10条西24丁目だが、最寄り駅は地下鉄二十四軒だ。

この位置にできたのは札幌市中央卸売市場に近いことが理由だろう。

 

次は北海道獣医師会館。

1927年に北海道獣医師会が発足。

戦後公益法人となり、1978年に現在の会館が完成。

これも地下鉄開業の影響だろう。

 

上述の通り札幌市中央卸売市場に近いこともあって、特に二十四軒1条の環状通沿線などには食品・水産加工場や倉庫なども並んでいる。

 

かつてはJR沿線も工場や倉庫などが多かったようだが、現在は商業施設や雇用能力開発機構などに変容している。