目次
1.日本庭園
前回に引き続いて中島公園の中を散策。
次は日本庭園の中を覗いてみる。
木でできた門をくぐって庭園の中へ入っていく。
池泉廻遊式の庭園。
東屋に行ってみる。
水琴窟があった。
日本庭園の技法の一つ。
洞窟の中で水滴が落ちた音を再現し、楽しむためのもの。
手水鉢に役石(前石、手燭石、湯桶石)を備えた「つくばい」傍の地中に空洞を作り、水滴が落ちた音を響かせるという仕組みである。
スカパラの水琴窟
東屋の周りは枯山水?砂に模様があって歩くときは石の上を行くことになる。
白い砂に描かれた模様。これって毎日調整しているのだろうか。
それとも自然に変わっていくのも趣の一つ?
石燈篭が片隅に佇んでいる。
札幌の姉妹都市であるアメリカ合衆国のポートランドにある日本庭園の石燈篭から贈られたもの。
ポートランドは札幌とほぼ同緯度に位置し、ともに開拓者によって開かれたこと。
札幌の開拓時多くのアメリカ人が訪れて指導したことなどを理由に姉妹都市提携を結んだそうだ。
ポートランドの位置はここ。
庭園中心部の池。ところどころに橋があって渡れるようになっている。
小さな滝も造られている。
鴨々川から水を引いているのだろうか。
2.八窓庵と小堀遠州
日本庭園内には茶室もある。
立入禁止だが、外観は見学可能。
実は国指定の重要文化財、八窓庵という建物。
設計したのは小堀遠州という江戸時代の大名にして茶人。
本名は小堀正一。小堀家は近江の浅井家の家臣であったが、正一の父正次の代に織田信長に滅ぼされ、正次は豊臣秀長の臣下となる。
正一も同様に秀長に仕える。秀長は大和郡山を治めていたが、この地は茶の湯の盛んな場所であった。正一も千利休や黒田如水・長政父子と親交を得た。
秀吉の死後はすぐに家康に仕える。
数年後駿府城の修築の際に普請奉行となりここでも功を成す。これにより遠江守の地位を賜り、小堀遠州と呼ばれるようになる。
1619年に近江小室藩に国替えとなり、1624年には伏見奉行に任ぜられた。
伏見の町政、木津川の船舶取り締まりなどを司る職務であったが、あまり多忙な地位ではなかったようで、茶の湯三昧の日々を過ごしたようだ。
この八窓庵は近江国長浜に建てられたものであったが、持田謹也氏という人物が購入し、札幌に移築した。氏は北海タイムス(現北海道新聞)の編集長・取締役で日本競馬会の理事も務めた人物。
その後札幌市に寄付されることとなり、建物を掘り起こして台車に載せてこの地に運んだという。なお、茶室の周りの路地は小堀遠州の系譜に連なる小堀宗慶氏が作庭したものだそうだ。