札幌史跡探訪 ― 連隊通とその近傍 ―

目次

 

 

1.札幌石炭坑爆発予防試験所跡地

白石駅から南へまっすぐ進む道道368号白石停車場線に場所を移す。

鈴木煉瓦製造場のあった白石中の島通は踏切を渡って北へと進む通りだが、この道道368号線は駅前広場から国道12号線まで至る道。

その途中にあるスーパーの一角で立ち止まる。

 

 

交差点のそばにとある説明板が立っていた。

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ここにあったのは札幌石炭坑爆発予防試験所。

明治より産炭地となっていた北海道において採掘時の爆発事故は重要な問題であった。

1939年、事故を防ぐための研究所がこの地に設置される。交通の便が良く、付近は三里や畑であった事が選定の理由であった。

 

終戦後は幾度かその名を変え、最後は北海道石炭鉱山技術試験センターとして鉱山保安の他、メタン資源の研究なども行っていた。

2002年度で役目を終え、現在はスーパーに姿を変えている。

 

今昔マップより

1950年代の地図。建物が3列に並んでいる辺りが試験所の敷地。

1984年代の航空写真・90年代の地図では建物(研究所)の部分だけで周囲は住宅街となり、現在はスーパーとその駐車場になっている。

 

2.連隊通

さて、この道道368号、停車場通(ふれあい散歩道)という幟がはためいていた。

かつては商店街もあったようだが、今はだいぶこじんまりした様子。

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南へ進んで行くと再び説明板があって立ち止まる。

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これは連隊通の案内板。建物と建物の間にひっそりと建てられている。

 

 

 

月寒の歩兵連隊から白石駅へと至る道として築かれた道。

国道12号線以北はそのまま停車場線として転用された。

 

再び今昔MAP

 

白石駅やや西からまっすぐ伸びた道は12号線でさらに少し西にずれ、 途中で少し方向を変えながら月寒の陸軍基地を目指す。

用地取得が難しかったため、白石駅前に広場を作ることができず、このような位置となった。

この連隊通りを進んで行くと途中には陸軍兵器補給廠があった。後に白石区役所となり現在は売却予定の更地となっている。

 

 

さらに進むと現在の道は月寒中学に突き当たり、トレースできるのはここまで。

その後は月寒高校付近に連隊の本部跡を記す説明板が建てられているようだ。

この辺りは今回訪れていないので後日うろついてみることにする。

3.陸軍官舎跡

さて、連隊通の説明板から道を外れて少し西へ向かってみる。

ここに白中公園という小さな公園があるのだが、ここにもとある説明板が。

 

 

小学校すぐそばの公園、その片隅にあるのがこちら。

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ここにあったのは陸軍官舎。

この公園だけではなく、この辺り一帯が官舎の敷地であった。

それを示すのがこの区域の地割。

現在の白石区は鉄道、国道12号線などを基点として碁盤目の地割を街づくりの根幹に据えてきた。道路の方角はほぼ平行、あるいは垂直に交わっている。しかしこのエリアは今の地図を見てもいびつな形。

そのわけはこの官舎が当時の道路とは方角をずらし、真南向きに建物を建設したのが理由のようだ。戦後官舎は払い下げられ、区割りもそのまま現在に至っている。

当時の面影を残す建物は1990年代までは残っていたようだが、今はもうないのかもしれない。

 

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現在の白中公園。

ここには2棟を廊下でつないだH型官舎があり、五右衛門風呂もあったそうな。

 

国土地理院地図の1948年の航空写真より

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位置関係から考えるとこんな配置だったと思われます。