芦別・赤平探検 ― 炭山川橋梁 ―

目次

 

1.幸町停留場

ここまで一本道を北上してきたが、ここで2本に分かれる。国道452号と三井芦別鉄道跡は北西へ左折気味に曲がる道をいくことになる。

この分岐点付近にあったのが幸町停留場。

 

 

1958年旅客のみ取扱の停留場として開業。

1972年旅客取扱廃止で休業。1989年廃線に伴い廃駅となった。

駅舎の様子はわからず。もしかするとホームだけだったのかもしれない。

周囲は完全に住宅街で駅の北東には結核の療養所もあったようだ。

現在はなにも痕跡が残っていない。

2.中の丘駅

次は中の丘停留場。

芦別川と炭山川に挟まれた地域に設置された。

 

1949年一般駅として開業。

こちらのホームページによると、駅前にはいくつかの商店が並んでいた。

その裏には三井芦別鉱業高校、駅裏側には中の丘小学校があった。

開校から閉校まで、高校は1946年~1973年、小学校は1958年~1980年の期間であった。駅西側の山にはスキー場もあったようだ。

1972年旅客取扱廃止、1989年廃線に伴い廃駅。

ここも、何も痕跡なし。

 

1970年代の国土地理院地図の航空写真。

 

駅の東西、平地部分に住宅が並んでいる。

 

3.炭山川橋梁

次の駅に向かう途中にある炭山川。

ここに市内を代表する炭鉱遺産である橋梁とディーゼル機関車が残されている。

 

炭山川の少し北側に駐車帯が設けられている。また、脇の道道115号に入ると橋梁の北側も駐車できるようになっており正面から機関車を見ることもできる。

 

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機関車は色がちょっとすすけてきているのかもしれない。

橋梁はまだまだ現役のように見える。

 

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こう見ると山の中に取り残されたような姿。緑に囲まれている時はいいが、真冬に知らずに見ると驚愕する人がいるかもしれない。

 

橋梁北側の駐車スペースから見た姿。

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フェンスがあって立入はできないようになっている。

 

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炭鉄鉱の構成文化財にも指定されている。

橋梁の概要・沿革について記載された説明看板。

機関車・石炭貨車は文化財ではないというのはなぜだろう。

 

ちなみにこの展望スペースがある道道115号線は一応上砂川と繋がってはいるが、通年で通行止め。かなり厳しい道で、恐らく需要も少ないため今後開通する可能性は極めて低いだろう。

 

4.入山停留場

炭山川橋梁のすぐ北にあったのが入山停留場。

 

1958年旅客のみ取扱の停留場として開業。

1972年旅客営業廃止で休業。1989年廃線に伴い正式に廃駅。

この駅は西芦別市街の南端に位置し、三井芦別駅の旅客補助のような目的で設置されたのだろう。

 

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