目次
1.茂尻駅
平岸駅から隣の茂尻駅へ。ここも同じように国道38号線から少し南側に位置している。
今日見てきた平岸駅・上芦別駅・野花南駅とは違って、もう少し古そうな駅舎。
駅前を眺める。奥に見える山々の手前には空知川が流れている。
駅前広場は大きめ。花壇が綺麗に手入れされている。
続いて待合室内へ。
駅の南東にあった、雄別茂尻炭鉱の風景画。
1965年頃の様子。ずり山が高くそびえ、奥には竪坑櫓と炭鉱住宅群が見える。
タンチョウの絵も架けられていた。
滝川方面。幅が狭めの跨線橋が特徴的。
ホームは1面2線。駅舎側の線路は撤去されたのだろうか。
駅舎側には貨物ホームがあったのだろうか。
駅名が平仮名で記されている。なんとなく尻が並んでいるように見える字体なのは狙っい通り? 特に「も」の曲線具合がかなり個性的だ。
ちなみに地名は「もじり」だが駅名は「もしり」。由来となったアイヌ語は駅東側に流れる桂川を表す「モシリケシオマナイ」なので駅名の方が元の言葉に近いみたい。
2.茂尻駅と近隣の歴史
大正期財閥系の大倉鉱業がが茂尻炭鉱を開坑。赤平初の大規模炭鉱となった。
国鉄は運炭用専用線の敷設と合わせ茂尻駅を貨物駅として1918年に開業させる。
1926年旅客扱いも開始し、一般駅となる。
それまで桂川と空知川の合流点近くに波止場があり、その周辺に市街地があったが一般駅開業に伴い駅周辺に移転する。
1929年各坑口から選炭場までの馬車軌道が電車軌道となる。
1935年経営が大倉鉱業から釧路の雄別炭鉱に移管。
この後最盛期を迎えることとなる。
在りし日の茂尻炭鉱の姿はこちらから。
1960年代の国土地理院地図の航空写真。
駅東側から専用線が分岐、大規模な施設へ進んで行く。
駅裏南側、駅表側の東には炭鉱住宅が列をなしており、今でも一部は改修後残存しているようだ。
1969年茂尻炭鉱のガス爆発でかなりの数の死傷者。すでに採炭は下降線をたどっていたこともあり同年閉山。これがきっかけで資金繰りが急速に悪化、翌年廃業となった。
茂尻炭鉱は経営権を譲渡して表層の露頭炭のみ採炭を行うこととなった。
1974年茂尻炭鉱が完全に閉山。貨物取扱廃止となる。
1982年、職員無配置駅となり現在に至る。