札幌史跡探訪 ― 発寒神社 ―

目次

 

1.発寒神社

発寒中央駅のすぐ北側にある発寒神社にも行ってみる。

 

 

創建はまだ江戸時代。1856年山岡精次郎を主と山岡精次郎を主とする一団が幕命により発寒の開墾を行う。やがてこの地に起こした稲荷社が発寒神社の由緒。

一説には京都の伏見稲荷神社より分霊ともあるが、定かではない様子。

明治に変わり、1875年屯田兵の入地。そして1898年伊勢神宮より分霊され現在に至る。

札幌でもかなり歴史の古い神社の一つだ。

 

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「鎮守」とある。その土地を治める神様の場合鎮守となるようだ。

ちなみに血縁に関わる場合は氏神、生まれた場所に関わるのが産土となるそうだ。

 

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1987年に建てられた由緒。発寒神社のHPにも記載あり。

 

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ぎんなん通りに面する大きな鳥居。しかしこちら側は裏参道になる。

確かに本殿は正面を向いていない。

線路と並行に走る道から入るのが表参道となる。

 

今昔マップより

1935年の地図では神社は道路の反対側、小学校と並んで建っている様子。

1970年代まで進むと現在の位置に建っている。

ぎんなん通りは当時稲荷街道と呼ばれていた。

発寒神社に面することから名づけられたようだ。近隣の主要道路で北へまっすぐ伸び新川の辺りで曲がってから川を渡る。

 

境内にはいくつか史跡がある。そのなかでちょっと珍しいのが下の環状石垣。

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1930年頃に発掘されたものを復元。恐らくアイヌよりさらに前の文化と思われるもの。

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神社にあるというのはちょっと珍しいような。八百万の神という言葉から考えると案外近い存在なのかもしれない。

 

他にもいくつか記念碑が建っている。

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発寒移住記念碑。文章は札幌市長によるもの。

背面にも文章が刻まれており、上の山岡精次郎ら一行の移住を記念して建立された。

 

続いては発寒屯田兵移住百年記念碑。

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背面の記述によると、この地に屯田兵として殖民した者は盛岡藩仙台藩出身であったそうだ。後の世に子孫たちによって移住百年を記念して建立された。

 

続いては馬頭観音群。

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馬頭大神碑のまわりに馬頭観音などの碑が並んでいる。

 

そして1981年に建てられた記念碑。

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明治の開拓時代、農業従事に馬は欠かせない存在だった。

大事な馬をはじめとする家畜たちの霊を弔うために建立された碑群がここに集められたようだ。

 

2.発寒屯田兵開拓移住の地

発寒神社から少し離れて南へ戻る。

とあるコンビニ前にも屯田兵に纏わる碑が建てられていた。

 

 

ここには「発寒屯田兵開拓居住の地」という石碑

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1876年に入植した屯田兵たちはこの稲荷街道を基点として開拓を進めていった。

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ここは琴似屯田兵村の分村として設置された。

1882年には琴似と発寒の屯田兵村は合併し、1904年の屯田兵制度廃止まで続いた。