札幌史跡探訪 ― 発寒中央界隈 ―

目次

 

1.永田休蔵の碑

発寒中央駅のそばに春日緑地という小公園がある。

ここにいくつか石碑が建っていたので見に行ってみた。

 

発寒小学校の隣にあり、季節になるとアジサイが咲き乱れることで有名のようだ。

 

まずは一つ目の碑

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発寒開村記念碑。

山岡精次郎ら幕臣が1857年移住してきたことを記念して建てられた碑。

 

こちらは永田休蔵の碑。

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山岡精次郎と共にやって来た永田休蔵。

農民などを10人ほど引き連れてきて開墾に精を出していたが、所用で向かった石狩川河口付近にある役所からの帰路、暴風雨に会い石狩浜で亡くなったと言われる。

仲間たちは彼の死を惜しみ、後世になってこの石碑が建てられた。

 

2つの石碑は鉄工団地通りに並んで建っている。

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横には記念碑についての説明板。

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石碑が建てられたのは、後年多くの人がこの地に住むようになってから。この地の開拓の始まりを記すために建てられたようだ。

 

2.鉄工団地通

この鉄工団地通は、1967年の札幌市と手稲町の合併の際にJR北側に建設された工業団地が名の由来。

今昔マップより

1950年代の地図では函館本線に沿って道路があるのは南側のみの様子。

1960年代になると道路が開通し、鉄工団地も建設が進んでいるようだ。

北海道では最初の機械金属製造の工業団地である。

その北側には発寒鉄工関連団地(札幌鉄工関連協同組合)があり、こちらの方が設立は早かった。

 

3.鮭美川跡

駅からやや南に離れて住宅街の一角へ。

ここに小さな史跡がある。

 

 

鮭美川という川があったそうな。

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大正時代にはあったという河川。

川を泳ぐ鮭が美しく見えるという鮭美橋があり、それがそのまま川の名になった。

 

今昔マップより

1935年の地図では発寒中央駅方面に繋がる通りを横切って、発寒駅方面へ進んで行く川が確認できる。

 

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現在は暗渠となっており、何となく橋の姿を模しているようにも見える。