目次
1.発寒駅
最後に発寒駅まで足を延ばす。
線路と道路をまたぐ長い自由通路と橋上駅舎。
自由通路は札幌市が管理しているので札幌市内の駅としては小さな方かもしれない。
南側から眺めると駅の奥にJFE条鋼の豊平製造所の設備が見える。
豊平区で創業したの豊平製鋼が前身。
発寒に本社を移転したのち、JFEスチールの傘下となり、2011年グループ内での統合合併が行われ現在に至る。
鋼や鉄筋などを製造しているようだ。
南側は小さな駅前広場が形成されている。
北口は駐輪場があるくらいで鉄工団地が目の前に広がっている。
2.発寒駅と近隣の歴史
発寒駅ができたのは1986年と歴史は浅い。
南口駅前には開設記念碑が建てられている。
屯田兵による開村から1950年代に至るまで農地・牧草地が広がっていた。
1960年代、鉄工団地・木工団地が造成される。
上の写真の解説記念碑にあるように、この土地は開墾以来牧場を経営していた三谷家から寄付されたものであった。
その後少しずつ住宅が増えるが、当時の鉄道駅は手稲駅の次が琴似駅。
ちょうどその中間あたりに位置する現発寒駅付近の住人は不便な生活を送っており駅の解説を請願していた。そして再び三谷家が土地を寄付することでめでたく発寒駅開業の運びとなった。
今昔マップより
1950年代の地図、民家が殆どみられない。
1970年代になるとようやく工業団地と住宅が見え始めるが、農地・牧草地もまだまだかなりの面積が広がっている。
2006年イオングループが木工団地の土地の一部を取得し、大型SCを開業。
牧場の痕跡もほぼなくなり、微かに発寒西公園の横にサイロや牛舎が残されていたが、2018年に解体された。
ところで、発寒地区の地図を見てみると複雑な区割りになっているのがわかる。
発寒駅の辺りは鉄道に平行・垂直に道路が伸びているが、発寒中央駅の辺りは東西南北の方向に倣って道路が伸びている。
開拓当初は札幌中央部に合わせて方位を基軸としたようだが、その後に鉄道や主要道路ができたことで斜めに交わる道が増えた。
発寒駅と発寒中央駅の区割りが接する辺りはかなりややこしいことになっている。
このため住所表記も連続性に欠け、一本道を走っていても条丁目の数字が飛躍することがよくあり、夜に車を走らせていると道に迷いやすい。
自分も琴似よりの発寒に7年ほど住んでいたことがあるが、主要道路以外は最後まで把握できなかった思い出が残る。