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1.新宮市
今日は2015年6月6日放送の空から日本を見てみようで紹介された和歌山県の新宮市とその近隣について調べてみた。
最初は新宮市からスタート。
人口約2万6千人。
熊野川の右岸に位置し、河口部分は熊野速玉大社の門前町として栄えた。
熊野本宮大社への入口でもあり、流送による木材の集積地でもあり製材・製紙業が盛んであった。
合併によって新宮市域となった旧玉置口村は飛び地である。奈良県と三重県に挟まれていたが新宮市との結びつきが強く開村当時より和歌山県の飛地であった。
町のシンボルは熊野三山の一つである熊野速玉大社
元々は神倉神社から移転したものと言われる。
神倉神社は元宮、こちらを新宮と呼ぶようになったそうだ。
平安時代末期には上皇・法皇などが熊野三山に幾度も足を運び大いに賑わった。
平安~鎌倉時代にかけて熊野三山を統括していた熊野別当という役所があった。
その邸宅は後に新宮城(丹鶴城)となる。紀州藩主となった浅野氏が築城を始めるが、江戸時代初期に転封。変わって領主となった水野氏が完成させる。
そのまま明治時代を迎え、廃城。城跡は公園となり一部の遺構を見ることができる。
新宮城からさらに河口近くには阿須賀神社がある。
古来より信仰の対象となっていた蓬莱山の麓に位置し、熊野でも最も歴史の古い場所の一つとして知られる。
境内には市立歴史民俗資料館も設置されている。
市街には沼地に浮かぶ泥炭でできた浮島がある。
日本最大の浮島で植物が群落。寒暖地に生息する植物が入り乱れ、さらに高原性の植物までも見られ極めて珍しい生態系とされている。
熊野川上流部は断崖・巨石・奇岩・洞窟が続く日本屈指の景勝渓谷である。
下瀞・瀞八丁・上瀞・奥瀞などに分かれており奈良・和歌山・三重にまたがる名勝だ。
2.那智勝浦町
次は那智勝浦町。人口は約1万4千人。
東部は太平洋に面するリアス式海岸で勝浦港をはじめ天然の良港が多い。
西側の山岳地帯は熊野信仰の聖地にもなっている。
熊野三山の一つ、熊野那智大社は現在長い石段を上った先にあり青岸渡寺と並ぶ形になっている。かつては那智滝に社殿があった。
和歌山県田辺市から熊野本宮・熊野那智大社・熊野速玉大社へと続く道は熊野古道の紀伊路において、特に中辺路と呼ばれる道となる。
現在における観光地としての熊野古道は特にこの区間を指している。
熊野那智大社と赤城川までの大雲取越、赤城川から熊野本宮までの小雲取越、那智勝浦の町から熊野那智大社までの最も往時の面影を残す部分の大門坂などが名高い史跡である。
市街には熊野水軍の砦の一つであった勝山城跡、行者が小舟で沖へ向かう捨身行の補陀落渡海で知られる補陀洛山寺などが知られる。
海岸沿い南には南海道一の景勝地として知られる紀の松島があり、本土には温泉も湧出している。
3.北山村
最後は北山村。人口はわずか400人弱。
奈良県と三重県に囲まれた飛び地がそのまま一つの自治体になっている。日本では唯一の例である。
山間部に位置し面積の97%は山林。
古代より木材、特に杉の伐採が盛んで下流の現新宮市まで流送を行い、人口の大半が筏師として就業していた。
そのため新宮市とりわけ木材商との結びつきが強く江戸時代も紀伊藩領に属し、そのまま和歌山県に属し現在に至る。
戦後ダムが建設され、筏流しは途切れた。その後1979年に観光筏下りとして復活。
現在も多くの観光客を集めている。
近年は道路が整備され、三重県熊野市との結びつきが強くなりつつあり三重県への編入案もあったが、住民投票などで和歌山県のままとなっている。