目次
1.妹背牛町の概要
今日は妹背牛町(もせうしちょう)について調べてみた。
面積48㎢、人口約2700人の小さな町だ。
町は全域が平坦な土地で、市街地の周辺は水田が広がる。
モセウシという不思議な地名はアイヌ語が由来。
イラクサが繁茂している処という意味になるらしい。
アイヌの人々はイラクサの繊維で作った織物をレタルペ(白いもの)と呼んで珍重していそうだ。
2.妹背牛町の歴史
妹背牛町の開拓は1889年に開場した雨竜農場に由来する。
やがていくつかの農場に分裂することとなるが、現在の妹背牛町域はその一つである菊亭農場内にあった。
1890年には雨竜~妹背牛、妹背牛~和(北竜)~増毛の道路も開通。最初の大きな道路となった。
1893年須磨馬渡船場、その10年後には水上渡船場が設置される。
本格的な開拓を始めたのは、元長岡藩士で北海道農学校の校長も務めた森源三とされる。1896年には小さな商店街も形成され始めた。1898年には有志と共に妹背牛神社を建立し。
同年鉄道の妹背牛駅が開業、駅逓も設置された。妹背牛は北竜・沼田方面の物資の集積地となり、交通の要衝となっていく。
後に留萌方面の分岐点となる案も計画されたが、土地所有者が反対。さらに沼田町の陳情もあって深川駅が分岐点となった。
明治~大正にかけて深川村の一地域という存在であったが、深川市街が膨張していくにしたがって、やや離れた妹背牛地区までは行政が追い付かず住民に不満が蓄積していく。
そして1923年分村が成立し、妹背牛村が発足した。
妹背牛町HPに掲載の史跡マップ。
1931年建設された村役場はフランス風デザインの流れを汲む洒落た建物。
1952年の町政施行後も永くその役割を果たしてきたが、1985年の新庁舎落成を機に郷土館に姿を変え現在に至る。
ストリートビューで中を見ることができるようにもなっている。
主要産業は農業、ほぼ稲作に特化しており町域の大半が水田だ。
3.妹背牛町の観光地
小さな町なので史跡を除くと観光スポットは1か所くらい。
遊水公園うららはウォータスライダー、カーリングホール、パークゴルフ、温泉。コテージ&バーベキュー場などのお手軽レジャー施設が集積したスポットになっている。
稲穂を抱いた牛が温泉につかっている。
温泉の名前ペペルもアイヌ語の水・泉を表す言葉が由来の造語である。