世界ふれあい街歩き ― サン・ルイ ―

目次

 

 

1.サン・ルイの概要

今日は2009年2月5日放送の世界ふれあい街歩きで紹介された西アフリカにあるセネガルのサン・ルイという町について調べてみた。

wikipedia:サン・ルイ

 

 

サン・ルイはセネガル川の河口に位置する細長い三角州を中心とする町。

大陸部とサン・ルイ島モーリタニアから繋がる砂州部分からなる町である。

大西洋に面し、サン・ルイ州の州都である。

 

観光のメインとなるのは中州部分のサン・ルイ島

大陸部から続く長大なフェデルブ橋が島の玄関口だ。

この橋はパリのエッフェル塔を建てたギュスターヴ・エッフェルの作品の一つ。

 

橋を渡ると旧市街の入口。植民地時代のコロニアル様式が残る町並みが続く。

 

 

島に入ってすぐそばにあるホテル・デ・ラ・ポストは作家サンテグジュペリが「星の王子さま」を執筆した場所として知られる。

 

町には作品に出てくるバオバブの木もあり、カラフルな街並みと共に観光客を楽しませている。

 

 

さらに市街を通り抜けてもう一つ橋を渡ると、隣国のモーリタニアから繋がる半島部分に渡ることができる。

 

 

川には小舟が並び、生活感の溢れるエリアに入っていく。

 

サン・ルイ島とは建物の様子も変わり、ここに暮らす人々の一般的な住居や商店が並ぶ。人が多く、活気あふれる街だ。サン・ルイはセネガル一ファッショナブルな町としても知られ、衣料品店・仕立て屋なども数多いそうだ。

 

 

 

サン・ルイの北60kmにあるジュッジ鳥類国立公園は350種、300万羽以上の渡り鳥が飛来する、サヘル唯一の緑地帯。

サヘルとはサハラ砂漠南部に広がる半乾燥地帯。かつては脆弱ながら緑に覆われた土地であったが、近年深刻な砂漠化が進んでいる。

 

2.サン・ルイの歴史

サン・ルイの旧市街は1659年フランスが商館を建設。1673年フランス領セネガルの首都となる。1895年にはフランス領西アフリカの首都となったがその後1902年に首都はダ・カールに移った。1885年セネガルとダ・カールの間が鉄道で結ばれ現在も使用されている。

 

大航海時代に始まった奴隷貿易は初期の小規模なものから徐々に規模を拡大していき、サン・ルイはフランスにおける奴隷貿易の大きな拠点となる。

原住民の王国が戦争の捕虜や現地制度の奴隷などを集め、フランス人は大西洋を渡って中南米西インド諸島プランテーションへ売却。その代金で砂糖などを購入するという交易のフォーマットができていたようだ。

また、ヨーロッパ製の銃火器もこの交易の一部として原住民の王国に売却されていたようである。

19世紀になり奴隷貿易、さらに奴隷制度そのものが廃止されるようになる。

前後して列強による植民地化が進む。

フランスは西アフリカにおいて1895年に現在のモーリタニアセネガル・マリ・ギニアコートジボワールニジェールブルキナファソベナンをフランス領西アフリカとした。その後中央アフリカ・チャドなども植民地とする。

 

1946年限定的な選挙権が与えられ、1958年フランス共同体が発足しフランス領西アフリカが解体。

1960年の「アフリカの年」で多くの国が独立し、実態を伴わないままフランス共同体は消滅することとなった。