目次
今日は2015年8月4日放送の空から日本を見てみようで紹介された能登半島について調べてみた、後半戦。
前半戦はこちら。
1.穴水町
最初は穴水町。
人口は8千人弱。農林水産業が主な産業。
鎌倉時代、長谷部信連が穴水城を築く。長谷部氏の子孫は後の守護大名、畠山氏の重臣である長氏となり穴水城を居城としていた。城跡は公園となりソメイヨシノが植えられている。
千年以上の歴史を持ち、北陸最古の絵馬がある穴水大宮・江戸時代の漁法の名残をとどめるボラ待ちやぐらなどが観光スポット。
2.能登町
次は能登町。
人口は約1万5千人。
北陸最大級の縄文遺跡である真脇遺跡には復元された環状木柱列、出土したイルカの骨などが展示されている。
畠山氏の支族となった松波氏の居城であった松波城は発掘された庭園跡が国の名勝に指定された。
広大な自然林と、遊歩道で結ばれた植物園のある柳田植物公園はプラネタリウムを持つ天体施設、天体望遠鏡付きのコテージがあり天体愛好家の聖地にもなっている。
3.珠洲市
続いては珠洲市。(すずし)
能登半島の突端に位置する。古代は出雲・佐渡・蝦夷と繋がる海洋交易のルート上に位置しており、比較的早期に出雲から鉄文化を取り込んだとされている。
「すず」という地名は鈴から来ている。万葉仮名が須須で佳名(縁起のいい名)が珠洲となるそうだ。
北東部の先端にある禄剛崎灯台は明治時代に日本人の手で造られた歴史・文化的価値の高い灯台。レンズの回転ではなく遮蔽板を回転させることで光が点滅する方式。
形が軍艦に似ている奇岩、見附島・中世を代表する陶器でありながら忽然と姿を消した珠洲焼の復興を手掛ける珠洲焼資料館などが主な観光スポットだ。
4.輪島市
最後は輪島市。
人口は2万3千人。奥能登地方の中核都市である。
古くから港町として栄えた。大陸の人々が倭島と呼んだことが市名の由来となっている。日本を代表する三津七湊の一つにも数えられた。
鎌倉時代、曹洞宗の大本山となった總持寺が開創し周囲は門前町として栄えた。
輪島市と合併するまでは自治体名も門前町であり、本山は横浜に移転するも現在も禅の里として町おこしを行っている。
戦国時代にこの地を支配した温井氏の居城であった天堂城は現在はほぼ自然に返っているようだ。
その代わり、史跡としては日本海を往来した北前船の足跡が多く残っている。
廻船問屋住宅跡の旧角海家、上大沢・大沢の間垣(防風の為に竹を組んだ垣根)集落などが代表的だ。
そして輪島と言えばやはり輪島塗。
この地域特産の珪藻土を原料とした下地、さらにその後20工程上に及ぶ手作業を経て作り上げる品質と頑丈さが高く評価されてきた。また、加飾にもよく適応している。
やがて北前船で日本各地へ運ばれるようになり、その名声は今も揺るぎない。
その他に日本三大朝市の一つである輪島朝市、能登半島の北50kmの日本海に浮かぶ舳倉島などが観光スポットとして有名である。