目次
1.クライストチャーチの概要
今日は2009年3月12日放送の世界ふれあい街歩きで紹介されたニュージーランドのクライストチャーチについて調べてみた。
クライストチャーチはニュージーランド第3の都市で、南島では最大の町。
1830年頃ヨーロッパ人の入植が始まる。
それまでは先住民族が定住していたようだ。
入植当初は捕鯨船の補給港だった。その後イギリスと先住民族マオリ族との間に結ばれたワイタンギ条約でニュージーランドは事実上イギリスの植民地となる。
1850年カンタベリー協会が主導した移民団がリトルトンに上陸。町造りが始まった。
現在のリトルトンの港
クルーズ客船や貨物船が寄港し、クライストチャーチとの間には鉄道が開設された。
この地に入植した人々の多くがオックスフォード大学のクライストチャーチカレッジ出身であった事から、町はクライストチャーチと命名された。
町は発展し、イギリス風のネオゴシック様式の建物が市内中心部に並ぶ。1856年ニュージーランドでは最初の市となった。
20世紀初めには南極探検の基地としても活躍。スコットやシャクルトンなどがこの地を拠点とした。現在も空港にニュージーランドの他アメリカやイタリアの南極観測隊拠点地が隣接している。
平野部の東端に位置し、一年を通して温暖。
平野部で酪農・畜産・農業が行われ観光客も多い。
南島の商業・金融の中心地でもある。
2.クライストチャーチの観光
市街地の中心にあるクライストチャーチ大聖堂がこの町のシンボル。
1864年に建設開始。当初は木造であったが近隣で建築に適した石材が発見され変更した。完成までに約40年の年月を費やす。
荘厳な外観に多くのステンドグラスや彫刻品、イギリスから運ばれた13この珍しい釣り鐘などの装飾が人気で、宗教儀礼の他にコンサートホールなど催し物会場としても使用されていた。
しかし2011年町を襲った地震で尖塔が倒壊。建物の大半も崩壊してしまう。
危険な状態のため修復を断念。
2013年近隣に日本人設計者 坂茂氏による紙の教会が仮設として建設された。
その後再建が決まったようだが、工事には少なくとも10年間はかかるようだ。
紙の教会は10年間は保存されるらしい。
大聖堂周辺が町の中心部。
観光客向けのカラフルなお店やゴシック建築の建物が並んでいたが、こちらも地震からの復興中の模様。
町の西部にあるハグレー公園はスポーツ施設が集中。
公園の中を流れる川ではイギリス伝統の川遊びも楽しめる。