目次
1.月形樺戸博物館
月形町役場でダムカードをもらった後、同じ敷地にある月形樺戸博物館に入館。
建物は明治中期に建設された樺戸集治監の本庁舎。
主に政治犯を中心とする犯罪者を収監したいわゆる刑務所である。
1919年集治監の廃止後は町役場の庁舎として使われる。
1973年町役場の新庁舎建築後、北海道行刑資料館として一般公開。
1996年現行の月形樺戸博物館にリニューアルし現在に至る。
残念ながら館内は撮影禁止。
建物はとても歴史を感じるもので、中身も充実している。
先日連載終了したゴールデンカムイにも出てくるので、興味のある人はぜひ行って見たら良いであろう。
2.樺戸集治監の沿革
明治時代初期、未開拓の原野が大半であった北海道。
政府はロシアの南下への備えとしてインフラ整備とそのための開拓を急務とした。
当時は西南戦争を中心に国事犯が数多く、収容施設が不足していた。
そこで囚人を開拓に従事させることで犯罪者の処置と開拓の経費削減を同時に実行する計画が作成される。
そして1881年初代典獄の月形潔が着任し全国三番目の集治監として樺戸集治監が開庁。
陸の孤島であった月形の開墾、現国道12号線、275号線・峰延道路と呼ばれた道道275号線の開削などを行った。
慣れぬ北国の過酷な労働環境で命を落とす囚人も多かった。
1903年司法制度が変わり、特別な囚人を収容する集治監制度が廃止。
樺戸集治監は一般の樺戸監獄となる。やがて開拓が進むにつれ集治監の広大な敷地は農業発展の障害となり、囚徒も減少。
そして1919年樺戸監獄は廃監となり旭川監獄へ引き継がれることとなった。
3.博物館の内容
本庁舎に入るとまずは再現された典獄室。応接セットや事務机が設置されていた。
さらに広い一室には歴代典獄の紹介、集治監の見取図や模型が展示されている。
建物は庁舎・獄舎の他にも木挽工場や煉瓦工場など作業場も多く、現在の中心部の辺りはほぼ集治監の敷地内であった。
本庁舎からは地下通路で背後にある博物館本館へ繋がっている。
1階は集治監の建設や沿革、囚人と看守の関係、監獄で働く人々など主に集治監に勤務していた人々の資料が展示されている。写真や文書が豊富でじっくり見るとかなり時間がかかる。
2階に上がると開墾や道路建設など敷地外での活動や囚人に関わる展示。
峰延道路開削の際は湿地帯に直線道路を開通させるため、まずは排水運搬路を堀り、ぬかるみに丸太を並べ、その上に土砂を敷き詰める。さらにその上から再び丸太・土砂を敷き詰めた後、土を平らにならして砂利を敷くという作業を行っていた。
また熊坂長庵や大沢房次郎などゴールデンカムイの登場人物のモデルとなった人々についての展示もあった。
2階からは隣の農業研修館に繋がっている。
明治・大正期の住まいや農機具・農耕馬のはく製などが展示されていた。
建物外には初代典獄であり、町名の由来にもなった月形潔の銅像。
道路に面する役場の周囲は開拓時代の情景が描かれている。
道路開削?開拓?に従事する人々。
雪の積もった冬道を馬そりに乗って進む人々。
道路が整備される以前、交通は石狩川の舟運。
当時使われていた上川丸の模型が江別河川防災ステーションに展示されている。