伏見稲荷神社 ― 旧参道 ―

目次

 

1.幌西自転車公園

某月某日、朝早く目覚めたので自転車に乗ってちょっと一回り。

最初に訪れたのは幌西自転車公園。

 

子供の自転車練習ができる公園だが、目的は公園の外にある石碑。

 

北海道総本宮伏見稲荷神社の石碑。

建てられたのは山鼻村時代らしい。

伏見稲荷神社はここからしばらく歩くのだが、なぜここにあるかというと。

 

いつもの今昔マップを見てみると、この道は1916年の時点ですでにあることがわかる。

道は途中で途切れているが、その先にある道をまっすぐ進むと稲荷神社がある。

ちなみに、現在公園の東側で分岐している道を北へ進むと円山方面へつながる。

この通り、かつては山根通と呼ばれ開拓初期の円山地区では唯一の道路であった。

今も碁盤の目の区画をあざ笑うように斜めに進み、この道を境に東西で碁盤の目の角度が変わっている。

幌西自転車公園もこの道と新しい区画割の交差にできた三角地形を利用したのだ。

ちなみに、幌西自転車公園から東へ向かうと山鼻村の中心部へ向かう行啓通。

 

再び伏見稲荷神社方面に戻る。

1935年の地図を見ると、完全に道が繋がっている。

 

この道の通りに進んで行く。

環状通を渡ってしばらくすると、階段が出現。

木の茂る階段。段差があってここからは自転車では登れない。

自転車を置いて徒歩で進む。

 

階段の脇には伏見開基50年記念碑。

 

根っこが地表に露出している大木。

 

階段を見下ろすと途中から急な角度になっているのがわかる。

段の幅が違ったり、すり減ったり割れたりしている個所もあって結構歩きにくい。

 

階段を上がって雑木林の道を少し歩くと伏見稲荷神社の赤い鳥居。この道は参道だったのだが、今はどれだけの人がここを通っているだろう。

鳥居が20数本並び、有名なスポット。

近年マナーの悪い者が多いらしく、境内は撮影禁止だった。

 

2.伏見稲荷神社駐車場の石碑

境内は撮影禁止なのだが、駐車場に石碑が3つ並んで建っていたのでこれを代わりに撮影しておく。

まずは小さめなこちらの石碑。

石狩調役 荒井金助の碑

江戸時代末期、幕府の命で小樽西部・札幌北部の開拓を指揮。

篠路村の前身となる荒井村を開いた。明治維新を見ることなく病没。

 

阿由葉宗三郎翁の像。かなり大きい。

明治中期ごろ北海道神宮宮司を務め、自治活動に大きく寄与したとされる。

 

上田一徳翁の碑。

本名は上田万平。南部藩に産まれ、円山の開拓に従事。

民間による食糧備蓄「円山積穀会」を設立。円山登山道の開削も行った。

功績を称えられ、石碑が建立された。