札幌史跡探訪 ― 新琴似屯田兵中隊本部 ―

目次

 

1.新琴似屯田兵中隊本部

新琴似駅からすぐ西側に、かつてこの地に入植した屯田兵中隊本部の建物が今も残っている。

 

 

中隊本部の建物は札幌市の有形文化財として保存されている。

屯田兵制度廃止後は地域の共有財産として使用されてきた。

後に札幌市に寄付され、当時の姿に復元される。

建築様式は米国風バルーンフレームで、明治期の北海道の建物に多く見られる。

ゴールデンカムイにここをモデルにした建物が登場したこともあった。

 

新琴似兵村は1887年~88年にかけて建設される。琴似・山鼻に次ぐ三番目の設立。

 

建物のそばにはもやい井戸跡も残っている。

もやいとは共同の意味。

桶を半分まで地中に埋め、桶の底から水源までモウソウ竹を通していた。

 

屯田兵が住んでいた家の内部の様子。可愛らしいタッチの絵だ。

 

屯田兵村の風景。入植当初は鬱蒼とした密林だった。

1970年代までは改築されているものの、屯田兵屋がまだ数軒残っていたそうだ。

 

入植時には琴似に至る現在の琴似・栄町通と札幌へ至る通りが開削された。

主な生業は亜麻の栽培。比較的肥沃な土壌であったが、排水に苦しむ。

後に稲作やえん麦、そして大根が名物となった時期もあった。

 

今昔マップより

1916年の地図。すでに一番通り~四番通りが記されている。

1890年には二番通りと三番通りの間に排水路の安春川が掘削され、現在の麻生地区に製線工場が建設された。当時の住所表記は新琴似番外地。

1935年の地図では製線工場が帝国製麻工場に変わり、札沼線新琴似駅が開業。

1945~50年の航空写真では、中隊本部のあった新琴似神社・帝国製麻工場付近以外は農地が広がっているのがわかる。

戦時中、四番通りは軍用として拡張される。滑走路となる計画もあったようだが敗戦により幻に終わった。

 

2.新琴似神社

という訳で中隊本部建物と隣接する新琴似神社もついでに参拝。

 

 

鳥居は4番通に面している。


鳥居は白っぽい灰色のモノトーン。

 

新琴似神社の創祀は屯田兵の入植間もなく。開拓と軍事訓練に励む屯田兵たちの心のよりどころであった。

 

背の高い木が茂った参道の先に本殿がある。

 

境内には開村記念碑が建っている。

 

開村5年時に一度建立されたが、劣化により新調されたそうだ。

 

同じ敷地には東繁造の碑。

 

動物と人間の血液を見分ける方法を確立した学勲を称える碑。

再び今昔マップ1960年代麻生地区は住宅街に変貌し、新琴似駅から伸びる通りが南へ弧を描いて、四番通りに交わる。現在の五差路が完成。

1970年代になると農地が大半だった新琴似地区も殆どが住宅街に変貌。

現在は西部に僅かに水田が残っている。