世界ふれあい街歩き ― 台南 ―

目次

 

1.台南市の沿革

今日は2009年4月30日放送の世界ふれあい街歩きで紹介された、台湾の台南市について調べてみた。wikipedia:台南市

 

台湾では最も早くから開けた町。

台湾が他の地域から注目されるようになったのは16世紀。倭寇の根拠地として使用され、やがて漢民族や日本人が居住するようになった。

大航海時代にはヨーロッパ各国も訪れる。最初に台湾の領有を宣言したのはオランダの東インド会社。統治期間中には福建省広東省の沿岸部から労働力を集め、プランテーションを経営。ゼーランディア城を統治の中心として約40年間支配を続けた。

1662年、清に敗れた明の遺臣である鄭成功が台湾に亡命。オランダ人を攻撃し一掃。

台湾に漢民族の政権が樹立。ゼーランディア城を安平城と改称し、3代にわたって王城となった。しかし、台湾にも清の統治が及ぶようになると安平城は軍事機能のみとなり、政治の中心からは外れる。さらに19世紀イギリスの攻撃を受け、甚大な被害でほぼ廃墟と化した。

 

日本統治時代に、宿舎として整備されオランダ時代の城砦は完全に姿を消した。

現在は安平古堡命名された史跡として、観光地となっている。

 

台南市は平坦な地形が大半で、果物や稲の生産が盛ん。

1995年台南サイエンスパークが整備され、ハイテク産業の中心地にもなっている。

 

2.台南市の観光

上述の安平城堡以外にも史跡が多い。赤崁楼はオランダ人統治時代に有事の防衛拠点とされた砦。鄭政権時代には軍事拠点とされたがその後荒廃。

20世紀になり、往時の復元が進められ国定古跡に指定されている。

 

市北部にある南鯤鯓代天府は、神様の一種である王爺を祀る廟。台湾における王爺信仰の総本山とも言われる。現在は仏教や道教の神様も多く祀られ、毎年賑やかなお祭りも行われる。

台南孔子廟は台湾で最も古い孔子廟。当初は孔子を祀っただけではなく学問の場でもあった。

国立台湾文学館は日本統治時代の台南州庁。台湾の多くの官庁の建設を手掛けた森山松之助による設計。周囲にも日本と所縁のある建物が多い。今は台湾文学資料の展示、収蔵など学術研究の場となった。

 

かつてイギリスや日本が使用していた倉庫跡である安平樹屋は、木に覆われた建物が人気となり観光地化された。清朝時代に港の入口として賑わった神農街はレトロな街並みの散策が人気。文化芸術スポットでもある。

 

1930年に完成した烏山頭ダムフーバーダム建設までは世界最大のダムであった。

日本人技術者の八田 與一が建設を指揮。広い面積を持ちながら灌漑設備が不十分であった嘉南平野に安定した水利をもたらした。粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリックフィル工法(コンクリートをほとんど使用しない)で土砂がたまりにくく、同時代に建設されたダムが機能不全となりつつある中で、現在も順調に稼働している。

ダムに整備された公園には八田の銅像と墓が建てられた。