炭鉱と廃線 ― 歌神駅跡 ―

目次

 

1.歌神駅跡

道道114号線は北東から北へ方向を変える。

ペンケウタシナイ川を越えてすぐのところが次の目的地である歌神駅跡。

 

 

まずは復元された駅名標。距離がとれず、斜めからの近接ショット。

歌神と書いて「かしん」と読む。

 

裏側には在りし日の駅舎の姿。出自は乗降場とあって小さな造りだ。

 

駅名標が立っているのは団地のそばにある小公園。

 

2.歌神駅と近隣の歴史

歌神という地名は1903年に歌神炭礦がこの地に開坑した時が始まり。

歌志内と神威の中間にあったことから名づけられた。

正式な住所として設定されたのは昭和中期のようだ。

現在は歌神1区・2区・3区に分かれている。

 

歌神駅が乗降場として開業したのは1959年。

翌年旅客駅として正式開業。

1970年代の国土地理院地図の航空写真。

 

この頃はまだ各区に炭鉱住宅が並んでいる。

今はすっかりなくなり、一区に新しい団地が建っている。

三区には1961年に市営のスキー場が開業。

空知管内では最大規模を誇った。一度経営難になるも、現在は新会社が経営中。

最近は雲海が広がる山頂の景色も人気だ。

 

駅は1986年無人化。1988年歌志内線の廃線に伴い廃駅となった。

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