空から日本を見てみよう ― えびの市 ―

目次

 

 

1.えびの市

今日は2015年9月29日放送の空から日本を見てみようで紹介された、宮崎県えびの市について調べてみた。wikipedia:えびの市

人口は約1万7千人。

市の南部は火山及び高原、北部は高原と山林。中心部は盆地になっている。

南部のえびの高原は霧島連山に囲まれた景勝地

凝灰角礫岩や完新世溶岩で覆われており、火山活動と森林化が繰り返された痕跡が残っている。

韓国岳の爆裂火口、明治~昭和までマッチの原料となる硫黄を採取していた硫黄山、火口湖の不動池など景勝地が人気だ。

 

市の北部にある矢岳高原は加久藤カルデラの外輪山。

盆地部分は今の市街中心部となり、霧島連山・雲海・田園・JR肥薩線を見下ろす眺望が人気だ。

 

2.えびの市の歴史

5~7世紀の古墳時代後期に作られたとされる島内古墳は、墳丘を作らず地下の玄室に遺体を安置する九州南部に特有の様式。近隣に群集し、島内地下式横穴墓群と命名

板石積石棺墓と横穴式石室の折衷型という日本で唯一の様式が発見された。

第139号古墳からは最大規模の玄室と数多い副葬品が発見され、極めて高い地位の人物が埋葬されたと考えられている。

 

市街の少し西、住宅街の中に100年を超える歴史の温泉がある。

その名も京町温泉。温泉資源の乏しい宮崎県にあっては県を代表する温泉ともいえるが、中小の温泉宿が数軒点在する控えめな温泉街。

 

中世、この辺りの政治の中心だった飯野城。

河岸段丘上に位置し、南を川内川・北を押建山・東西を崖に囲まれる要害に築かれた山城。鎌倉時代に築城され、戦国期には島津義弘の居城となった。

1615年の一国一城令により廃城。

 

飯野城の縄張図

本丸は公園、射場は駐車場として整備されているが、二の丸・三の丸は藪の中のようだ。

物見曲輪は市街を見下ろす展望台になっている。

また、城の裏口にあたる搦手門からは西方にある加久藤城への抜け道もあったが、こちらもいまは自然に帰っている。

 

えびの市の城館跡より

川内川の北岸は武家屋敷や寺社、南岸は町人街だった。

 

この付近では島津義弘と伊東氏の合戦が行われた。

肝付氏の進攻で動揺していた島津氏に対し、3000人の兵を率いた伊東氏が攻め込むも、1/10程度の兵力だった島津氏に木崎原の戦いで敗れ伊東氏衰退の大きな要因となった。

幹部クラスの武将も失った伊東家の当主伊東義祐は大友宗麟に助力を乞うが、耳側の戦いで大友軍と共に再び島津氏に敗れる。その後は四国に渡り息子を秀吉に仕官させ、隠居となった。