空から日本を見てみよう ― 郡山市~二本松市 ―

目次

 

1.郡山市

今日は2015年10月20日放送の空から日本を見てみようで紹介された福島県郡山市から二本松市について調べてみた。

最初は郡山市

wikipedia:郡山市

 

人口は32万人超。東北地方第二の人口を持つ。

奥羽山脈阿武隈高地に挟まれた福島県中通りに位置する。

古代の律令時代に郡司が置かれていたことが地名の由来になっていると考えられる。

 

室町時代には安積地区に篠川御所が置かれた。南東北の政治的中心地となるも、戦国期には衰退。江戸期には北の二本松に大名が居城を構え、郡山は奥州街道の宿場町の一つとなった。

この地域が大きく発展するのは明治時代。

原野の広がるこの地域に明治政府が注目。国費開発事業の第一号に選定される。

課題は水利であったが、猪苗代湖からの安積疎水の開削案に決定。

お雇い外国人ファン・ドルーンによって会津若松市十六橋水門から工事開始し、1882年完成。水力発電所も設置され、紡績工場を誘致。鉄道も開通し、様々な製造業が集約されていく。奥州街道東北本線と磐越西・東線で東西南北の十字路として東北有数の都市になった。

 

 

市の東部にある高柴デコ屋敷は三春駒・三春張子人形の工房がある集落。

郷土民芸品の販売・製作体験などを行っている。

 

2.本宮市

続いては本宮市

wikipedia:本宮市

 

人口は3万人。郡山市に隣接していることもあり、工業が発達。

市内は阿武隈川で二分されている。

市の由来となったのは平安時代に創建された安達太良神社。近隣に点在する安達太良神社の総本宮であることから、本宮という地名になった。

 

会津街道起点、三春街道・相馬街道が通っており宿場町としても有名だった。

 

3.二本松市

最後は二本松市

人口は5万人超。wikipedia:二本松市

 

福島県を代表する城下町。

室町時代に畠山氏が二本松城を築く。戦国~江戸初期まで城主は頻繁に入替る。

1643年より丹羽氏が二本松藩主となり、明治まで続く。

戊辰戦争では籠城戦も行われた。明治後に城は破却。

奥州街道沿いに発展した城下町に対し、城郭は北西の白旗が峰に築かれた平山城

麓に藩主屋敷・武家町で町人地は街道の南北に築かれた。

鉄道が商業地の南側に設置され、北側の商業地は衰退していった。

 

二本松提灯祭り二本松の菊人形など伝統産業に関わるイベントが人気。

伝統家具も重要な産業であり、市南部の竹田に工芸展が集まっている。日本酒の造り酒屋も多い。