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1.千曲市
今日は2015年11月3日放送の空から日本を見てみようで紹介された長野県の千曲市から長野市について調べてみた。
2003年に更埴市(こうしょくし)、上山田町、戸倉町が合併して成立。
旧更埴市は古墳時代に科野(後の信濃)国造が置かれた地とも言われ、森将軍塚古墳は東日本最大級の前方後円墳として知られる。古墳は復元されており、散策することが可能。
稲荷山宿は善光寺街道最大の宿場町。江戸時代末期から明治時代にかけては生糸や絹織物の商取引が盛んで、北信濃一の商都になった。
鉄道開通後は駅から遠いこともあり、徐々に寂れていったがそれゆえに当時の町並みが残る。土蔵群や水路、街道が途中で折れ曲がった鍵の手など今でも歩くとすぐにわかりやすく、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
山に囲まれているこの地域では傾斜があり農作業に苦労した。
そんな環境で発達した姨捨の棚田は市を代表する景勝地になっている。
棚田としては初めて国の名称に選ばれた。2千枚を超す水田が広がるダイナミックかつ情緒あふれる景観だ。
旧戸倉町と旧上山田町はあわせて戸倉上山田温泉の名で知られる。
荒砥城跡の山麓に温泉街が広がり、善行寺参りの精進落としの湯として賑わった。
2.長野市
続いては長野市
人口36万6千人の県庁所在地。wikipedia:長野市
善行寺平とも呼ばれる長野盆地に位置する。多くの河川が千曲川に流れ込み洪水の被害も多かった。
犀川と千曲川に挟まれたデルタ地域は川中島と呼ばれ、武田信玄と上杉謙信が5度に及ぶ合戦を繰り広げた川中島の戦いの舞台となった。
もっとも当時は今よりも川の流れが複雑で上田市~新潟県境の間に点々と広がる島状の土地を総称して川中島と呼んでいた。
その中でも特に激戦で知られ、二人の一騎打ち伝説の残る第4次川中島合戦の舞台となったエリアが現在の川中島とされ、古戦場歴史公園かつ市立博物館が建てられている。
川中島の合戦後、武田方によって築かれた海津城は江戸時代にこの地域の中核となった。松代城と改称し、松平家・酒井家を経て真田家の居城となる。
しかし古くからいる商人たちは北の善光寺の門前町から動かず、松代城下が商業の中心地になることはなかった。
明治維新後に廃城となった後は当主の真田家によって遊園地となり、戦後は市に寄贈。
公用地となって市の史跡となり整備される。
江戸時代の藩校が残っている。極めて稀であり大変貴重。