空から日本を見てみよう ― 善光寺~戸隠 ―

目次

 

1.善光寺

今日は2015年11月10日放送の空から日本を見てみようで紹介された長野市について調べてみた。

最初は善光寺について。

日本で仏教が各宗派に分かつ以前から存続する無宗派の仏教寺院。

創建については諸説あるが天武天皇が諸国に建立した群寺の一つとする説が有力だ。

また、善光寺の起源を伝える善光寺縁起が平安時代に成立した。信仰についての貴重な資料であるが、伝説的な内容も多い。

本尊である一光三尊阿弥陀如来は絶対秘仏の霊蔵とされ、住職ですら目にすることはできず御開帳では本尊の分身が公開される。

関東で信仰が盛んで、源頼朝も参詣している。鎌倉期を通じて幕府から援助を受けていた。また、善光寺聖とよばれる勧請聖が各地に出向き分身仏や善光寺縁起絵伝を使って信仰を広めていった。

戦国時には武田信玄織田氏、徳川氏などが本尊を寺領に遷座するが、秀吉が信濃善光寺に返還する。

女人禁制が多かった日本の仏教にあってそのような区別はなく江戸時代には女性の参詣が非常に多かった。

浅間山噴火や天明の大飢饉における民衆救済の一環として、弟子であることを示すお血脈が参拝者に配布され、爆発的な人気を起こす。

 

 

明治維新後は寺領を失うが、1871年県庁が長野市に設置され、1893年には鉄道が開通。交通の便が良くなり、参詣者は再び増加した。

 

現在は本堂・戒壇巡りなどの見学と参道で食べ歩きなどを楽しむのが王道ルートになっている。

 

 

2.戸隠神社

次は戸隠神社

戸隠連峰戸隠山中腹にあり創建は紀元前とも言われる。

古代より戸隠山修験道の修業の里や戸隠流忍者の里として知られていた。

岩質が古く、崩れやすいため切り立った岩場など急峻な地形が目立つ。

 

平安時代以降は天台宗真言宗などと神道が習合し戸隠山勧修院顕光寺として全国にその名を知られた。

戦国時代には武田氏と上杉氏の間で戦火にまみれる。多くの信仰者や修行者を味方につけるべく両者が競っていた。

江戸時代には修行場から徐々に門前町へ変容していく。

 

木に囲まれた大鳥居

 

 

中社の手前にある門前町は宿坊が密集する地域。

宿坊とは参詣者が宿泊する宿のこと。

重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

 

戸隠神社中社。

明治時代には神仏分離令廃仏毀釈によって戸隠神社も寺院を分離。

現在は五社を巡る古道散策や上級者向け登山に初心者向けトレッキング、そして全国的にも有名となった伝統の手打ちそばが観光の中心だ。