白老サイクリング ― 北吉原駅 ―

目次

 

1.北吉原駅

萩野駅から国道に戻って再び西へ進む。

川を2つほど越えると北吉原の町に到着。

国道の南側に飲食店が幾つか並ぶ当たりで北に曲がると北吉原駅に到着。

 

 

最近建て替えされた、こじんまりとした駅舎に到着。

2面2線のホーム構造だが、構内を渡る踏切や跨線橋はない。

駅横の細い道を通って、東側にある踏切を渡らなくてはいけないのだ。

というか、向かい側のホームへ行くためには駅を通る必要はそもそもない。

 

駅裏には日本製紙の大きな工場がある。一部がちらりと見えた。

 

 

2.北吉原駅と近隣の歴史

国土地理院の戦後間もなくの北吉原駅の航空写真。

海沿いに集落はあるが、鉄道より西側は農地、そして原野が広がっている。

 

元々この辺りは敷生という地名でアイヌのコタンがあった場所。

今も川の名に残っている。

川沿い、少し内陸に入ったところにある現在の禅照寺付近がコタンの中心だったそうだ。前浜が大きな漁場だったが、現竹浦、萩野など鉄道駅の開業や、不漁のため萩野へ移転する人などが続き人口は減少。

元々は敷生コタンの中心部近くに駅を開業させる案もあったようだが、土地所有者の反対で現在の位置に決まったらしい。

やがて漁業中心の一寒村になり、住所も萩野の一部分となる。

 

1959年大昭和製紙の工場進出が決定。

白老、社台は地盤が適さず北吉原の地が選定された。

まずは工事関係者の宿舎が建てられ、さらにそれらの人々を客とする飲食店も立ち並ぶ。

現在の国道と海岸の間に簡素な造りの店が多くできたが、最盛期を過ぎ、老朽化が進むと淘汰されていったようだ。

 

工場が建設されると当然従業員も済むようになる。

人口が増え、萩野から分離することが決定。

大昭和製紙の本社がある静岡県吉原市の名を取って、北吉原と名付けられた。

もっとも静岡県は”よしわら”だが、こちらは”きたよしはら”となっている。

 

1965年、従業員の通勤の便のために北吉原駅が開業。

北海道では最初の橋上駅舎であった。

独特な造りで名建築とも言われたが、老朽化により惜しまれつつ2019年に解体。

 

画像はこちらから

 

1970年代の航空写真

 

工場東、専用線が分岐する辺りは社宅がぎっしりと並んでいる。

今も一部は健在らしい。専用線も線路はそのままで草に埋もれているそうだ。

 

通勤時間帯は急行も設定されていたほどの大工場だった。

2003年、合併で日本製紙に名称変更。

 

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