目次
1.種川駅跡
北住吉駅跡から次の種川駅のあった場所を目指す。
瀬棚線のあった頃は、鉄道と道路が近づいたり離れたりしながら西へ進んでいた。
農地の裏手にある森の中にうっすらと線が見える。
これが瀬棚線のルート。築堤が残っているかもしれない。
国道230号線と瀬棚線の交点部。
国道より西側には線路跡が農地の仕切りとなったまま残っている。
線路はこのまま種川駅まで真っすぐ西へ進んでいた。
国道はいったん北へ向かい、西にカーブ。種川の集落の北側を通って先へ進む。
立派な種川小学校を通り過ぎて左に曲がると、種川駅の駅前通りに入る。
種川駅前の通り
かつては商店が並ぶ通りだったのだろうか。
突き当りが種川駅跡。現在は木工場の一角になっている。
木工上の敷地はなかなか大きい。この日も木材が積み上げられていた。
2.種川駅と近隣の歴史
種川地区は明治の中頃、1893年から入植開始。
今金町史によると近隣の河川でサケの孵化研究が行われたことから、「種川」という地名がつけられたようだ。
この地区では枕木用の造材が盛んにおこなわれたらしい。木材も瀬棚線開通の一因となる主要輸送物だった。
1930年瀬棚線の花石駅~今金駅間開通に伴い、一般駅として開業。
薪・木炭の出荷量が全国一位になったこともあった。
国土地理院地図の1948年の航空写真
駅裏手は貨物スペースか。木材の集積場か側線があったのかはわからない。
駅前は広くなっていて、木材が積まれているのか?別なものかもしれない。
駅北東も大きな敷地が見える。現在と同様木工場関係かと思われる。
その後も盛んに木材・ベニヤ板の出荷が行われたが、1979年に貨物の取扱い中止。
間もなく業務委託駅に転換した。
1970年代の国土地理院地図の航空写真
木工場のスペースは小さくなり、駅前には住宅が増えている。
国道は若干線形が改良され、直線になったところは南側に中学校が設立された。
現在中学校は保育所に転換している。
この不自然なカーブはかつての街道というわけだ。
1987年瀬棚線の廃線に伴い廃駅となった。
せたな町の生涯学習センターにあった種川駅の写真。
廃止当時は1面1線のホーム構造。
駅舎は横長で、集落の規模からいっても瀬棚線では利用者の多い駅だったと思われる。
駅の北西には現在も営業中の種川温泉がある。
食塩泉質で数人が入れる程度の地元客に愛される小さな温泉。