目次
1.八重洲口側
何年ぶりに来たか記憶にないが、予想より人が多くて辟易笑
飛行機の時間まで少し余裕があるので、お土産探索がてらまずは八重洲口から出てちょっと散歩。
八重洲は南北に長い長方形の町割り
チャットGPTによると、
商人町だった日本橋周辺は、
碁盤目状+細長い短冊型の区画
が基本だった。
理由はシンプルで:
-
表通りに店を並べたい(間口が価値)
-
奥に住居や蔵を置く
-
土地を分割しやすい
だから
「間口は狭く、奥行きが長い」=長方形 が増えた。
明治後も現在まで長方形の区画が生き残っている。
今の八重洲駅北口~常盤橋周辺に河岸があり、八重洲通り周辺には小型船が着岸できるような細い運河があった。
八重洲口を出てすぐの通りはその名の通り外濠。そして現在の八重洲通りは築城資材運搬のため開削された運河である紅葉川だった。
江戸時代が下るにつれ、町が拡張。陸運も発達し水路の役割が低下しまずは西側、そして東側が埋め立てられた。
江戸時代はこのエリアに屋敷があった家康お抱えの外国人ヤン・ヨーステンから取った八代洲という地名が通称で使われていた。
明治に入り東京駅建設の頃から行政や地図上で八重洲の表記が定着。
ふらふら歩いてみたが、めぼしいお土産は見当たらず、丸の内側へ向かってみる。
2.丸の内口側
東京駅を通過する途中でいくらかお土産を購入。
せっかくなので丸の内口へ出て見て東京駅の外観を眺めてみる。

辰野金吾が設計した赤レンガの建物。

チャットGPTに聞いてみたところ、窓枠や装飾部は白い花崗岩。
水平ラインが多いことで、低重心・重厚感を演出している。
ヴィクトリアンゴシック様式のリヴァイバルだそうだ。
明治後新橋駅、上野駅、飯田町駅、両国駅と東西南北と通じるターミナル駅と路線が設置されてきたが、いずれも接続はしていなかった。
これらを接続させるターミナル駅と高架路線が計画され、1888年条例により工事決定。
設置が決まった駅の周辺は、江戸時代は武家屋敷が立ち並び、明治後は陸軍の兵営や練兵場、警視庁、裁判所、監獄などの政府関連施設だった。
ドイツから招いていたお雇い外国人のルムシュッテルやバルツァーの助言を受けて、外濠沿いに高架線路を敷設。
1914年に開業。天皇の利用する駅としてシンボル的な位置づけに。
1929年八重洲口も開業。
2012年戦災などで建築当初から変わっていた外観の復原工事が完了し今の姿となった。
建築当初は中央は皇室専用口。南北のドームが利用口だった。