瀬棚線を目指す ― 瀬棚駅跡 ―

目次

 

1.瀬棚駅跡

北檜山の市街を出て、次は旧瀬棚町の市街を目指す。

日本海はもうすぐ側である。

海岸に並行して北へ進む国道229号線を走り、市街地に入ったところですぐ左折。

現在は温泉や高齢者施設になっているエリアがかつての瀬棚駅跡だ。

 

 

 

真新しい駅名標のレプリカと本物のキロポストが、芝生の上に並んで立っている。

 

隣には瀬棚線の駅名が記された石碑。

瀬棚線の名残を示すものはこれくらい。

あとは広いスペースから類推できるかどうか。

背景のあちこちに風力発電の風車が見切れているのがせたな町らしい。

 

三角屋根の建物が連なっている高齢者施設。温泉も併設されているらしい。

この辺りは駅があった当時も建物が建っていた。

官舎その他鉄道関係の建物だったのだろう。

 

駅跡には鉄道関係以外にもう一つ、記念碑が建っている。

 

日本初の女医、荻野吟子氏の功績を称える顕彰碑だ。

今金町の開拓で夫とともに渡道。

現在のせたな区本庁に医院を開業。

経歴と記念公園整備の経緯が記されている。

 

新しい全身像もすぐ横に建っている。

 

女史に対応する男性用の表現はないらしいね。

 

35歳で医師となり、それから開拓のために渡道し医院を開業。

パワフルな人であったのだろうと思わされる遍歴だが、写真やこの像からはハイカラな格好ですらりとしたお嬢さんの印象。

根性と気品を合わせ持った人物だったのだろうか。

 

 

文字が見えにくいが、出身地である埼玉県知事と妻沼町長、かかわりの深い瀬棚町と今金町の町長が連名で名を記している。

埼玉県でもゆかりの偉人として、現在も功績を広めているようだ。

 

2.瀬棚駅と近隣の歴史

瀬棚町は江戸時代より、漁場や木材伐採などで和人の出入りがあった。

明治初期には三本杉に旅館ができ、国縫への道路も開通。

今金・北檜山なども開拓が進み人口が拡大していく。

 

明治の中頃から昭和の初めまではニシン漁が盛ん。

1932年瀬棚駅~今金駅が開通し瀬棚線が全線開業。

終着駅の瀬棚駅は鉄道設備も多く、広い構内を有した。

 

1966年には函館駅に直通する準急列車も運行開始。廃線まで形を変えながらも継続して運行した。

 

1970年代の国土地理院地図の航空写真

 

ホームは1面1線だが、副本線や側線が多く、北東部には転車台もあった。

 

現役時代の瀬棚駅舎。

 

昭和40年代の駅構内図。機関庫もあり、大きな駅であったことがわかる。

しかし、1983年に貨物取扱廃止。それからわずか4年後に廃線に伴い廃駅となった。

 

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