美唄で炭鉱の名残を周る ― 美唄鉄道跡地を周る ―

アルテピアッツア美唄を出て、道道135号線を富良野方面へ向かう。

あと1~2年ほどでこの道も開通し富良野に達する予定。

以前に訪れた時は途中から砂利道の寂しい道だったが、今日は工事をしていて車も多いだろう。

というわけでまずはかつてこの道と並行して走っていた美唄鉄道の終点、常盤台駅跡を目指す。途中からはほぼ無人地帯。舗装はされているもののクマが出るとしか思えない。常盤台駅跡は炭鉱メモリアル森林公園という名で綺麗に整備されているものの、人気がなく森に囲まれているためクマが出るとしか思えない。

 

 

 

しかし、今日ならば工事車両が多いので安心。

と、思いきや雨のため工事はお休み。

 

人っ子一人いない雨の山中。

普通はクマが人間を避けてくれるはず・・・

とは思っても怖くて車から降りれない(笑)

 

せっかく来たのに車からの撮影のみでそそくさと公園を後にする。

富良野への道が開通して車通りが多くなったころにまた来よう。

 

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無人の地に高さ約20mの竪坑巻揚櫓が二基並ぶ。 

地下170mまで人や石炭の運搬に使われていたという。また排気・入気の役割も果たしていたために2基造られたそうだ。

色は現役当時のものを再現しているそう。

霧のかかった山中に聳え立つ存在感。

 

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木に隠れているのはおそらく原炭ポケット。

掘り出した石炭を一時保管するための施設であり、道内に現存するものでは最大級と言われる。本当は近くに寄ってみてみたかったが断念。

 

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これは開閉所かな。

竪坑櫓や設備の電源を管理していた場所。

各遺構には安田侃氏の彫刻も展示されているようだが、今日は見えず。

再来を心に決め、立ち去る。

クマが出てこなくて良かった。

 

国土地理院地図の1970年代前半航空写真。

 

既に鉄道は廃線となっているが、まだ遺構は多く残っている。

1960年代の写真と比べると周囲はかなり寂しくなっているようだ。 

 

道道135号線を美唄市街方面へ戻る。

常盤台駅の手前、美唄炭山駅跡は現在も石炭の露天掘を行う企業の敷地内。

駅舎などは何も残っていないし、立入不可能なのでスルー。

 

 

続いてはこの辺りでは最大の町であった我路(がろ) 

 

 

我路駅跡はホームが残っているようだが、雨の中ではこれが精一杯。

訪れるなら草木が茂る前がいいだろう。

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さらに進んで盤の沢駅跡。

ここもホーム跡が残っているらしい。

やはり春先がいいかな。かつて美唄鉄道の線路跡はサイクリングコースになっていたのだが今はほとんどが藪の中だ。 

 

 

 美唄駅の隣、東明駅。

 

 

ここは駅舎が綺麗に管理された状態で残っている。

駅舎裏にはSLも静態保存されており、アルテピアッツア美唄と共にオススメである。

kamonji224.hatenablog.com

 

そして美唄駅へ戻ってきた。

 

 

美唄駅の様子はこちら。 

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さて、駅近接のホテルBIJIKOでは例の炭鉄港カードを配布中。

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青空をバックに2基の竪坑櫓が凛々しく並び立つ姿。 

 

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せっかく線路も描かれているロゴなので、美唄鉄道にもちょっと触れてほしいような・・・(/・ω・)/ 

 

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美唄で炭鉱の名残を周る ― アルテピアッツア美唄 ―

某月某日。

天気は今一つだがドライブに出かける。

今日は美唄市で炭鉱にまつわるスポットを周ってみる予定。

まずは以前にも訪れたことのあるアルテピアッツア美唄

 

 

美唄市出身の彫刻家である安田侃の作品が展示されている美術館・公園だ。

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この辺りも炭鉱で栄えていた頃は数多くの人が住んでいた。

美術館の建物は旧三菱炭鉱地域で最後まで残っていた栄小学校が転用されたもの。

 

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木造校舎の味わいが何とも言えない。

 

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2020年3月までは1階は幼稚園として利用されていた。

 

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しかし、園児の減少からかついに閉園。

 

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綺麗に管理されていた遊具はどうなるのだろうか。

コロナが落ち着いたら子供たちが遊べるように復活してもらいたいものだ。

 

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広い芝生には彫刻が点在している。

独特の不思議な風景だと思う。

 

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この日は小雨が降っていたが、晴れていればお弁当を食べたりするのに最適な気持ちの良い場所である。

 

国土地理院地図の1960年代航空写真。

小学校の周りにはびっしりと「炭住」が並んでいる。

 

 

さて最近ここではこんなカードが配られ始めた。

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炭鉄港カード。

日本遺産に選ばれた空知の石炭、小樽の港湾、室蘭の鉄鋼そしてそれらを繋いだ鉄道の産業設備・遺構をカードにしたらしい。

 

www.sorachi.pref.hokkaido.lg.jp

 

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栄小学校が閉校となったのは1981年。

ピークから20年で人数は70名弱になっていた。

 

天気が良いとこんな感じ。

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小学校の校舎2階と体育館がギャラリーになっている。

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南区史跡サイクリング ― 下藤野停留所跡 ―

定山渓鉄道廃線跡シリーズ。

藤野にあった停留所の中では最南端となる下藤野停留所跡にやって来た。

 

 

 

1948年に営業開始、1969年に定山渓鉄道廃線に伴い廃駅となった。

 

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住宅街の一角に建てられた標柱。

 

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この停留所も定山渓鉄道の晩年になってから造られたもの。

この辺りに人家が増えたということだろうか。

 

国土地理院地図の1960年代後半の航空写真

 

線路の周辺は田畑が多いが、国道の向こう側はかなり住宅が増えてきたようだ。

 

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駅は川のそばにあったようだ。

今は護岸され、整備されているが開拓時代はこのような川でも大雨の時などは難所であったのだろう。

 

南区史跡サイクリング ― 十五島公園停留所跡 ―

引き続き南へ向かって自転車を進める。

 

次にやって来たのは十五島公園停留所跡。

 

1959年営業開始、1969年廃線に伴い廃駅となった。

わずか10年ほどの歴史であった。

停留所という名の通り、あまり大きい駅ではなく貨物の取り扱いなどもなかったようだ。

 

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グーグルマップで示される地点とは違う場所に木柱が建てられている。

個人宅の敷地内ということもあって全景は撮影せず。

実際の駅の場所とは少しずれているらしい。

 

1960年代後半の航空写真。

駅の位置はよくわからない。 

 

 

さて駅名の由来となった十五島公園は石山通りからもう少し離れたところ。

豊平川沿いにある公園。定山渓鉄道がある時代には鉄道に乗って出かける人も多かったようだ。

 

 

 

平常時なら河川敷はバーベキューの楽しむ人々で溢れている。

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河川敷沿いに細長い形の公園

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中央部には公園の名を記した大きな石。

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その横には公園史。

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定山渓鉄道も造設に関わったらしい。

造成は昭和29年(1954年)。駅の開業まで数年かかったようだ。

公園を利用する人が増えてから開業の手続きを開始したのだろうか。

 

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南区史跡サイクリング ― 藤の沢駅跡 ―

石山通りに出て、南へ向かって坂道を登る。

次も条前景鉄道の駅跡、藤の沢駅の跡に造られた藤野東公園だ。

 

 

 

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この石も札幌軟石?

 

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公園の入り口には火の見櫓跡地の標が建てられていた。

 

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火事のみならず空襲でも使われていたそう。

わざわざ跡地に木柱まで立てているのは珍しいのでは。

 

 

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公園の少し奥側に定山渓鉄道藤の沢駅跡標がある。

この標では「ノ」となっているが、wikipediaでは「の」である。

 

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今はすっかり木に囲まれているが、この辺りが線路や駅舎であったようだ。

 

1960年代の国土地理院地図の航空写真

 

1963年まではこの駅から豊羽鉱山の選鉱場まで約2kmの貨物専用線が通っていた。

この写真では確認できず。

選鉱とは採掘した鉱石を有用と不要に分離する作業や、複数種類の鉱物を分離する作業。ちなみに、その後で鉱石を還元(昔学生の頃化学で習ったやつ)して金属を取り出す作業を製錬という。

 

豊羽鉱山は銀、銅、亜鉛、鉛、さらにインジウムというレアメタルなどを産出し、定山渓鉄道の貨物輸送部門の大口顧客の一つでもあった。

 

 

この山中にかつては人口5000人以上の人が住んでいたという。

 

 

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