日高廃駅巡り - 東町駅 -

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1.東町駅

絵笛駅から国道へ向かって海の方へ車を走らせる。

 

海岸までは両側を丘に挟まれ、牧場が広がる。

遠くにサラブレッドがのんびりと過ごしている。

 

海岸に出ると、崖が海に落ち込んでいる。

この先に行くと浦河町の中心部だ。

 

 

向別川の右岸の堺町から市街地エリア。

 

飲食店やハローワークがあったりして町らしくなってきた。

 

向別川の上流には浦河ダムがある。

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向別川の治水や安定流量を目的とし、不特定利水として灌漑目的でも取水されている。

 

川を渡ると役場や浦河駅、港がある町の中心部。

浦河駅は以前訪れたので今回は通過。

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この辺りは埋め立て地で住所も築地と歴史を表す地名。

その先も浜町、入船町と港町らしい地名が続く。

 

地理院地図でわかるように、山がちな地形。

 

川が削った平地に沿って人が生活している。

呑川に沿った東町は、浦河駅から少し距離があることから駅が設置された。

 

その名も東町駅(ひがしちょうえき)。ここまでシンプルな駅名も珍しい。

 

ご覧の通り、駅まで通じているのは歩道のみ。と思っていた。

 

北側がメインの出入口だったらしい。今の今まで知らず。

 

三角屋根の建物の手前にはトイレも設置されていた。

 

特に案内板もないようなところで国道からわき道に入り、カーブする細い道を通らないと駅にたどり着けない。元々地元民か継続利用者しか使用目的のない駅なので、わかりやすくする必要性がなかったのだろう。

 

線路と民家の間を進んだ先に小さく見える建物が東町駅だ。

 

この辺りは国道より少し低くなっているが、線路は民家よりもさらに一段低いところを通っている。鉄路は奥に見える丘をよけて進むため、右にカーブしていく。

三角屋根の小さな駅があり、他の仮乗降場出身の駅とは扱いが違う。

 

駅から振り返ったところ。

丘があって橋があってごちゃごちゃしてとりとめのない風景になってしまった。

 

2.東町駅の歴史

東町駅は1977年、旅客のみ取り扱いの仮乗降場として開業。

1987年国鉄からJR北海道へ転換時に駅に昇格。

駅周辺には浦河高校があり、通学の生徒が多かったようだ。浦川赤十字病院の最寄り駅でもあり、利用客は浦河駅より多かったとも言われる。

高波による運行休止中、代行バスは国道、さらに浦河高校前に変更された。

2021年廃駅となった。

 

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日高廃駅巡り - 絵笛駅 -

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1.絵笛駅

PCの不調でしばらくお休みしていたが、新しいPCになって心機一転。

とにかく動作が速くて快適だ。

さて、荻伏の集落から再び山側に車を走らせ、道道1025号線を進む。

 

 

絵笛川沿いに開けた牧場地帯に出て、川に並行して海岸へ進む。

 

絵笛駅はとある牧場の手前、牧場への入り口の小さな橋の架かっているところからしか入れない。

 

車で行くのはちょっと躊躇われたので、邪魔にならないよう道の端っこに停めて歩いていくことにした。

 

 

ほぼこの牧場専用のような位置にあった絵笛駅

 

ホームへの道は草に埋もれて、JRの看板がなければ駅跡だとわからない。

 

 

現役中の姿はこんな感じ。

四方八方が牧場だ。

 

残念ながらサラブレッドの姿は見えず。

 

コンクリート造りの小さな建物はトイレ?待合室?牧場の建物?

 

自然に飲み込まれていく鉄路。

馬たちの遊び場になっていくのだろうか。

 

2.絵笛駅の歴史

絵笛駅は1958年、旅客のみ取り扱いの駅として開業。

当初より一面一線の単式ホーム構造で無人駅。

上の写真のコンクリートブロックは待合室だったようだ。

 

立地通り利用人数は少なかったが、絵笛(えふえ)という音も字面もきれいで印象的な駅名と牧場に囲まれた長閑な風景で有名な駅であった。

 

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日高廃駅巡り ― 荻伏駅 ―

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1.荻伏駅

本桐駅を見た後は、来た道をコンビニのある交差点まで北に戻り右折。

次の駅跡へ向かう。

相変わらず農地や牧場の広がる風景が続くが途中で小さな峠に入る。

この辺りが新ひだか町浦河町の境界線。

複雑に入り組んだ境界だが、地理院地図を見ると曲がりくねる谷部分を境界にしているようだ。

 

 

海岸を走る国道付近では地図上だと小川になっている。

 

 

浦河町に入っても牧場が広がるが、元浦川手前の交差点で道道野深荻伏停車場線を右折。海岸へ南下していくと荻伏の市街に入る。

 

やや北東側から伸びる道道に対し、鉄道は丘陵の縁に沿って浦河町に入った後、市街の北西から町の中心へ向かって伸びていた。

まっすぐに伸びた二つの直線が交わったすぐ側の土地が駅になったわけだ。

 

 

航空写真を見るとわかる通り、駅の周囲はわりと大きなスペースが確保されている。

駅はカラフルに塗装された貨車駅。

ちょっと色あせているがいくつもの気球が飛び上がろうとしている明るい絵だ。

 

ホーム側は青い海と8割ほど顔を出している太陽。浦河町の海岸だと見えるのは夕陽。

 

一段高くなっているホーム。駅舎側は廃線前に線路が剥がされていたらしい。

 

駅前にある建物。はて、何だろう。倉庫のような大きな建物に跡から付け足されたような赤い小屋根の建物がくっついている。

この建物、道道に面しているがそちら側は完全に建物の後ろ側で壁しか見えない。

入口は写真に写っている箇所だけなのだ。

重機でも入れているのかな?位置的には農協倉庫なんかがありそうな場所だが。

 

一方、駅の南東側は中島組という会社の建物が幾つか並んでいた。

 

再び貨車駅。地面には建物の基礎跡が残っている。木造駅舎時代のものだろう。

 

2.荻伏駅と近隣の歴史

浦河町を流れる元浦川ということで、なにやら歴史のありそうな場所だがその通り。

江戸時代松前藩によって交易の拠点である場所が設置されたのが元浦川の河口だった。

当時はこの地域のことを浦川場所と呼んでいたわけだ。

浦川アイヌ語でウララベツ(霧の深い川)が由来の地名らしい。

 

その後、幕府により浦川場所は現在の浦河市街へ移転。

明治維新後に赤心社が中心となって元浦川右岸のこの地を開拓。

アイヌ語のオニウシ(木の多いところ)を由来とする荻伏という地名になった。

1902年周辺の村と合併し二級町村荻伏村発足。

 

1935年日高三石駅浦河駅開通に伴い一般駅として開業。

木材の搬出が多かった。馬や水産物の搬出もあったそうだ。

 

地図・空中写真閲覧サービスの1954年の航空写真。

駅の東、線路の両側が木材置き場になっていたのかな。

 

1956年荻伏村が浦河町編入合併

1977年貨物取扱廃止、簡易委託駅となる。

かつては2面2線のホーム構造だった。

1983年交換設備廃止、1993年までには木造駅舎から貨車駅舎に改築。

簡易委託は続いており、貨車駅内に出札窓口がある珍しい構造だった。

2011年の簡易委託が終了するまで、戦前の国鉄時代から勤務していた方が約70年もの間夫婦で駅を管理していた。

2015年運行休止。2021年正式に廃駅となった。

 

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日高廃駅巡り ― 本桐駅 ―

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1.本桐駅

蓬栄駅を後にして次の駅へと進む。

丘陵の切れ目を通って進路は南東へ。

農家・牧場が広がる中に、小さな市街地がある。

コンビニにJAみついしの本所、飲食店もある本桐の市街の端っこに本桐駅があった。

 

 

道道西側、長方形型の市街地の左下頂点に位置する本桐駅

木造、昭和初期の建築らしい。

色合いのせいかあまり古さを感じず、特別な駅ではなく日常の一部として当たり前に存在していた駅なのかなと思わせる。

 

庇の下にあって、正面からでないと見えにくい駅名。

代行バスのお知らせが掲示されている。

停留場は駅前ではなく道道沿いに設置されている。

 

ホームを眺める。駅名標の枠がまだ残されていた。

1面2線のホーム構造で、静内以南では唯一交換設備のある駅だった。

 

駅の周りは普通の住宅地。駅前らしい広場などはなく、車を停めるのにはちょっと躊躇するかもしれない。

 

駅前はこんな感じ。

 

 

2.本桐駅の歴史

ほんきりという駅名はアイヌ語のポンケリマプという地名から来ているらしい。

由来となった鳧舞川は道道のすぐ東側を流れる。

ポンはアイヌ語で小さいという意味。

下流にくだっていくと鳧舞という住所表記になる。

 

本桐駅は1935年三石駅浦河駅間開通時に一般駅として開業。

駅裏に三石営林署の土場があり、木材の搬出駅だった。

 

国土地理院地図の1953年航空写真

駅舎南に側線があり貨物利用があったようだ。

土場には南側から道が通じていた。

 

1977年貨物・荷物とも取扱廃止。駅員無配置となる。

1986年特殊自動閉塞導入で運転要員無人化。

2021年4月に正式に廃駅となった。

 

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今日のチバユウスケ

 

日高廃駅巡り ― 蓬栄駅 ―

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1.蓬栄駅

日高三石駅を出てから三石川左岸の道路を北東へ進む。

農村地帯が広がる扇状地にあった次の駅は蓬栄(ほうえい)駅。

 

 

1958年に開業した旅客のみ取扱の無人駅。

ホームは道路から直接階段を上って進入できる仕様だった。

現在は立入禁止。

 

待合室は不思議な形の建物。ブロック造りで扉がなし。雨風雪対策は?

廃線後に転換されたバスの待合室としても引き続き使われるようで、しばらくは現役で使われるだろう。

奥に見える出入口はトイレ。こちらも扉なし。

 

 

ベンチが置いてあり、鉄道の駅として考えると心もとないがバスの待合所であればなかなかの建物に思えるから不思議。

 

反対側から見るとだいぶ雰囲気が違う。

 

待合室からは階段ではなく、砂利のスロープでホームに繋がっている。

 

草に埋もれそうな線路の周りは丘の下に広がる農村地帯。

 

草が伸び放題のホームと錆びた柵の向こうには駅名の由来となった蓬莱山が見える。

 

ホームの横には自転車置き場。最初は何かと思ったよ。

 

1970年代の国土地理院地図の航空写真

 

 

2.蓬莱山(ほうらいさん)

蓬栄駅のやや下流側にある蓬莱山。

ふもとはパークゴルフ場など公園になっている。

小さな神社も建てられている。

 

玄武岩安山岩が地中深くで圧力を受けて変成した角閃岩でできている。

周囲の地質よりも頑丈だったようで、残丘になった。

この部分のみ川と山がぐっと近づいて平野部がほぼなくなっている。

 

下流側から見るとこんな感じ。

 

右手の丘陵との間を道路と鉄道が走っている。

元々こういう地形だったのかは不明。

丘陵側は蛇紋岩らしい。露頭しているところもあるそうだ。

もろい蛇紋岩が崩れて、角閃岩の蓬莱山が単独に切り離されたのだろうか。

 

 

今日のチバユウスケ

 

 

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