空から日本を見てみよう ― 上尾市~本庄市 ―

今日は2015年3月3日・10日の空から日本を見てみようで紹介された埼玉県の上尾市から熊谷市について調べてみた。

まずは上尾市

wikipedia:上尾市

 

人口は約22万5千人。

江戸時代の中山道の上尾宿を起源とする。

江戸時代までは用水に恵まれず荒川周辺が栄えていたが、鉄道の開通をきっかけに現在の中心部が発展。

ブリジストンサイクルやUDトラックスなど自動車産業の事業所が多い。

 

次は桶川市

wikipedia:桶川市

 

人口約7万5千人。

かつての中山道桶川宿。

江戸時代には紅花の生産が盛んであり、最上地方に次ぐ収穫量を誇った。

熊野神社古墳の出土品は東日本では珍しく、関西と類似点が多いことから国の重要文化財となった。

 

続いて川島町

wikipedia:川島町

 

荒川と越辺川に挟まれ、その立地を生かして田園が広がっている。

桶川市にまたがるホンダエアポート日興証券創設者の遠山元一の記念館などが名所。

 

次は北本市

wikipedia:北本市

 

人口は約6万5千人。

当初は鴻巣宿がこの地に置かれていた。

縄文時代のデーノタメ遺跡は関東地方最大級の環状集落跡、集落と水場が両方残るのは極めて珍しいとされる。

 

続いて鴻巣市

wikipedia:鴻巣市

 

人口約11万7千人。

中山道の宿場町を起源に現在では都市部の衛星都市となっている。

花卉園芸や稲作も盛んで、ひな人形の産地としても有名。

 

次は吉見町

wikipedia:吉見町

 

人口は約1万8千人。

町内は田園が多く、湖沼が多い。

 

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古墳時代の横穴墓群、吉見百穴

発見当初は住居か墓穴で論争があったが、現在は集合墳墓説が有力となっている。

住居説を唱えたのは明治~大正の考古学者で弥生土器の発見者の一人である坪井正五郎で、日本人の住居としては小さすぎることからコロポックルのような先住民族が住んでいたという説を主張していた。

 

次は行田市

wikipedia:行田市

 

 人口は8万人弱。

利根川を境に群馬県と接している。

国宝金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳や日本最大級の円墳とされる丸墓山古墳などを中心とした埼玉古墳群が公園として整備されている。

 

また映画のぼうの城の舞台となった忍城が一部復元され、展示室も兼ねている。

水攻めの際に築かれた堤防、石田堤も一部が残っている。

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のぼうの城

 

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古代蓮や足袋蔵も有名である。

 

次は滑川町

wikipedia:滑川町

 

人口は2万人弱。

県内有数の人口増加地域であるが、北部は自然のまま、あるいは田園地域が多い。

熊谷市にまたがる、明治100年記念事業で整備された国営武蔵丘陵森林公園が名所。

 

続いて熊谷市

wikipedia:熊谷市

 

人口は約19万人。

江戸時代の宿場町を起源とし、現在は埼玉県北部の中心都市である。

荒川扇状地の東端に位置し、市の面積の約3分の2が荒川と利根川に挟まれている。

気温の高さが全国ニュースになることが多く、都心のヒートアイランドによる熱風とフェーン現象による赤城山からの熱風が交差することが原因とされる。

 

利根川左岸に集落があるが、直通する橋はなく群馬県太田市を経由する必要があり、編入の陳情もあるようだ。

 

や谷宿の本陣当主が整備した星溪園などが名所。

 

続いて深谷市

wikipedia:深谷市

 

人口約14万人。

 

利根川と荒川に挟まれた地域となる。

荒川右岸最大級の鹿島古墳群、鎌倉時代御家人畠山重忠の史跡公園や岡部藩の陣屋式などの史跡が有名。

また渋沢栄一の出身地でもあり記念館が建てられている。

 深谷ネギで有名だが花卉栽培も盛ん。かつてはレンガや瓦などの製造も盛んでドイツ人技師ホフマンが考案し、明治期に各地へ輸入された窯は現在も遺構が残っており、重要文化財となっている。

 

最後は本庄市

wikipedia:本庄市 

 

人口は7万7千人。

古代より各時代の遺跡が発掘され、鷺山古墳は県内最大の前方後円墳として知られる。中山道最大の宿場町として栄え、明治時代には遷都が検討されたこともあった。

利根川を渡って群馬県へ繋がる坂東大橋が架けられている。

地球絶景紀行 ― タスマニア ―

今日は2012年6月15日放送の地球絶景紀行で紹介されたオーストラリアのタスマニア島について調べてみた。

wikipedia:タスマニア州

 

オーストラリアの南に浮かぶ島。

氷河期には本土と繋がっており、ヨーロッパ人がこの地に初めて着いた時もオーストラリア大陸の一部だと思われていた。

 

今なお自然が多く、手つかずの原生林が広がる国立公園は世界遺産にもなっている。

中心となるのがクレイドル山。

周囲はタスマニア最高峰のオッサ山など1500m級の山々も並ぶ。いくつもある遊歩道で手つかずの自然に少しだけ立ち入ることができる。

 

山の次は海。

ワイングラスの形をしたその名もワイングラスベイはオーストラリアでも有数の人気ビーチ。

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ワイングラスから北に向かうとベイ・オブ・ファイヤーという海岸。

こちらは砂浜に巨大な岩がいくつも転がっている。その岩はオレンジ色で燃えているようなことからこの名がついた。正体は苔なのだが、オレンジ色の苔というのが珍しい。

 

人工物で最も有名なのは南東部の半島先端近くにあるポートアーサー。

脱出不可能な刑務所として19世紀に設置された。20世紀後半に歴史史跡管理局が設置され観光地に転換されている。

 

島内最大の都市ホバートはオーストラリアでシドニーに次いで古い歴史を持つ都市。

毎週土曜日に開催されるサラマンカマーケットやミュージアム巡りが人気。

 

北部ではワインの名産地テイマーバレーに広がる葡萄畑が絶景スポット。

川と木々のコントラストと一緒にワインを楽しめる。

 

 

世界ふれあい街歩き ― ブリュッセル ―

今日は2008年6月26日放送の世界ふれあい街歩きで紹介されたベルギーのブリュッセルについて調べてみた。

wikipedia:ブリュッセル

 

ベルギーの首都であり、フランス語とオランダ語公用語とする。

12世紀ごろから交易交通の要衝として栄え、商業や手工業が発展。

現在では各大国からの近さなどからEUの首都にも定められている。

 

町並みは美しく、小パリとも称される。

美食の町としても知られ、特にチョコレートやワッフルが有名。

 

観光の起点となるのはグラン=プラス

世界で最も美しい広場の一つとも言われ、小説家ヴィクトル・ユゴーも称賛した。

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周囲は中世のギルドをルーツとする石造りの建物に囲まれている。

それぞれの職業を表す紋章が壁に刻まれており、建物にも「星」「白鳥」など名前が付けられている。

 

ブリュッセルといえば小便小僧。今では世界各国に見られるこの像の起源とされる。

由来には諸説ある。幼い領主が敵軍に向かって小便をして味方を勝利に導いたという伝説や反政府軍の爆弾の導火線に小便をかけて火を消した少年がモデルという説など。

現在は劣化防止のためレプリカがレンジされている。

 

近くには小便少女の像もある。

こちらは観光客が手を触れやすい場所にあり、色落ち防止のため柵が設置された。

 

グランプラスには特徴的な建物も数多いが、中でもシンボルと言えるのが市庁舎。

市内の至る所から見ることもできる背の高い建物。

15世紀に建てられたゴシック様式の外観だけではなく、内部の美しい装飾や調度品も必見。見学ツアーも行われている。

 

市庁舎の向かい側にはスペイン統治時代の政庁であった王の家。

現在は市立博物館となっている。

ここもゴシック様式の建物で、中には小便小僧のオリジナルや衣装が展示されている。

 

その他の名所としては、ヨーロッパ最古のアーケード、ギュルリ・サンテンベール。

サン・ミッシェル大聖堂は完成に300年を費やした鐘楼や見学に予約が必要な宝仏殿と地下聖堂が有名。ゴシック様式だが調査によってロマネスク様式の教会の上に新たに建築されたことが分かった。

 

少し南に行くと町を見渡せる丘に造られたフランス式の庭園、「芸術の丘」。

周囲には王立美術館、マグリット美術館などがある古典から近代までアートを堪能できる。

 

ベルギーはアールヌーヴォー建築発祥の地としても知られる。

初めてこの様式を建築に取り入れたのはヴィクトル・オルタ。

彼の自邸兼アトリエは現在オルタ美術館として公開されている。

 

 

 

夕張市 ― 黒いダイヤから赤いダイヤへ ―

今日は夕張市について調べてみた。

wikipedia:夕張市

 

人口は約7千7百人。

 

市域はほぼ山間に位置し、人口は国道452号線~道道38号線に沿って集中している。

 

国道は市南部を東西に掠める国道274号線と、そこから北に向かって分岐する国道452号線が通っている。

 

明治初期より石炭の産出で栄え、炭鉱町の多かった空知地方でも屈指の規模を誇った。

地質学士ライマンの夕張川調査、坂市太郎の大露頭発見などによりいくつもの炭鉱が拓かれ人口も最大で11万人を超えていた。

それに伴い、鉄道路線も数多く敷かれる。

現在も残る石勝線だけではなく、江別方面へ伸びていた北海道炭鉱汽船による夕張鉄道、三菱石炭鉱業の三菱大夕張鉄道国鉄石勝線登川支線、JR石勝線夕張支線など石炭輸送を中心に市内を東西南北に渡って鉄道が網羅していた。

 

しかし、昭和30年代後半以降石油へのエネルギー転換、製鉄用コークスなどの需要不振、炭鉱のガス事故、海外資源への転換など炭鉱を経営する環境は厳しさを増し、ついに1990年に炭鉱はすべて閉山。鉄道路線も石炭産業の斜陽化に合わせ少しずつ廃線が進む。2019年には市内の人口集中地を走っていたJR石勝線夕張支線もバス代替となり廃線となった。

 

現在も残る新夕張駅は特急も止まる駅ではあるが、市の南端に位置し市中心部からはかなり距離がある。道の駅も新夕張駅の近隣に設置された。

 

かつて黒いダイヤと呼ばれた石炭と炭鉱にまつわる施設がいまもいくつか保存されている。石炭博物館は財政破綻した夕張市の歴史と再生への願いを込めてリニューアルされた。営業再開早々に模擬行動の火災が起き、前途多難な船出となってしまったが石炭産業の展示としては世界的にも規模の大きなものであり、貴重な史料となっている。

 

炭鉱閉山後は観光にシフトするも、経営はうまくいかず。現在も残る施設は少ない。

その中で息が長く続いているのが映画関連であり、映画祭やキネマ街道、幸福の黄色いハンカチ思い出広場などは今でも楽しむことができる。

映画祭は2019年まで冬季に行われていたが2020年からは夏季に変更。

 

石炭の採掘のために拓かれた山間の町のため、農業に適した土地は少ない。

その中で全国区の知名度を手にしたのが赤いダイヤとも呼ばれた夕張メロン

青い果肉のメロンが全盛の時代に赤い果肉で勝負するという勝ち目のなさそうな戦いであったが、徹底した品質管理、著名人による宣伝(円山球場でホームランを打ったプロ野球選手への賞品となり、現役時代の王貞治選手が夕張メロンはたいへん美味しい旨の発言をしたことがマスコミに取り上げられたらしい)、そして日本初とも言われる産地直送システムの成功によって日本を代表するメロンとなった。

 

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カントリーサインにもメロンが大きく描かれている。

他はスキー場のリフトと今は亡き石炭の歴史村という観光施設。

 

新しい夕張のシンボルとして期待されるのが近年完成した夕張シューパロダム。

日本有数の面積を持つダム湖と巨大なダム周辺をレジャースポットとして開発の予定があるがもう少し時間がかかりそう。

 

 

 

空から日本を見てみよう ― さいたま市 ―

今日は2015年3月3日放送の空から日本を見てみようで紹介された埼玉県さいたま市について調べてみた。

wikipedia:さいたま市

 

人口は約130万人で日本第9位である。

浦和市、大宮市、与野市岩槻市の合併により発足。

関東平野の中心に位置し、山地や丘陵などはなく低地及び台地で構成されている。

 

江戸時代は旧岩槻藩の城下町を除くと旗本・寺社領などが入り乱れていた。

中山道の宿場町が幾つかあったものの比較的小規模であり、現在では痕跡はあまり見られない。

関東大震災時、当時の浦和・大宮などは土地整理が進んでおり被害が軽微だった。

壊滅的な被害を受けた東京や横浜から移住が多く、現在の大都市への発展の礎となっている。

 

 西区

 

旧大宮市の西部に位置し、荒川に接する。

西大宮駅周辺は宅地、その他は田園が広がっている。

埼玉県内には珍しい方墳である大塚古墳、大宮アルディージャのサブグラウンドがある秋葉の森総合公園などが名所。

 

次は北区

 

 中山道の大宮宿と上尾宿の間に位置する。

しまむら、マレリ(旧カルソニックカンセイ)の本社がある。

 

次は旧大宮市の中心地、大宮区

 

中心となる大宮駅は東京駅に次ぐ乗り入れ路線数を誇り、近隣にはJR総合車両センター、JR貨物大宮車両所、大宮操車場など工場・保守・運行施設が並ぶ。

またJR東日本発足20周年を記念し鉄道博物館も建設された。実際の展示場所は上記の現役鉄道施設とも接続されており、車両の入替が可能である。

また駅南の山丸公園にもSLが静態保存されている。

 

また北大宮駅近くには大宮という地名の由来となった氷川神社総本社がある。

 

続いて見沼区

 

旧大宮市の東部にあたる。

古代においてはこの地も東京湾の一部であり、その後海岸線が後退するもこの付近は長らく見沼と呼ばれる沼沢地の一部であった。

江戸時代に干拓が始まり、日本三大農業用水とも言われる見沼代用水や芝川との間を結び水運に活躍した見沼通線堀なども整備される。

見沼は田園地帯となり、現在も保存活動により農地の転用は制限され、首都圏随一の緑地帯を維持している。

 

次は旧与野市域にほぼ重なっている中央区

 

ほぼ全域が低地で、最も高い地点でも海抜16m超である。

宅地が多く、郊外都市の様相が強い。

首都機能補完としてさいたま新都心国鉄大宮操車場跡に建設され、県内有数のビジネス拠点となっている。

 

 

続いて旧浦和市域に入る。

まずは桜区

 

荒川、鴨川が南北に並行して流れ区南西部は広大な河川敷となっていて公園や農地に利用されている。

 

次は旧浦和市の中心地、浦和区

 

 元々は門前町、江戸時代に浦和宿が整備され宿場町の性質を持つ。

現在は行政機関が立ち並ぶ。

かつての浦和レッズの本拠地、駒場スタジアムがある。

 

次は南区

 

面積の半数以上が宅地を占める。

荒川の第一調節池内の彩湖付近の公園や50年に一度開花するというリュウゼツランが話題となった別所沼公園が名所となっている。

 

次は緑区

 

日本のサッカー専用スタジアムとしては最大となる埼玉スタジアムが位置する。

 

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最後は旧岩槻市域となる岩槻区

 

戦国時代の北条氏の支配を経て江戸時代には譜代大名の居城となった岩槻城の城下町。

曲輪址の一部が公園となった。

藩校であった遷喬館は現在博物館の付属施設として保存されている。

 

日光当初宮造営に関わった職人が名水を好んでこの地に住み着いたことから岩槻人形と呼ばれる雛人形の製作が盛ん。