目次
1.富良野市の沿革
今日は富良野市について調べてみた。
人口は約2万人。
市域の7割を山林が占める。東には十勝岳連峰、西には夕張山地・芦別岳、南には東大演習林がある。
約100万年前の火砕流・火山灰が盆地を覆っている。活断層で東部は隆起し台地となった一方で盆地部は沈降し河川堆積物で覆われた。
朝日ヶ丘公園以南も断層の影響で隆起し、丘陵が南北に細長く連なっている。
旧石器時代~擦文期にかけて湧水のある扇状地や河岸段丘に集落があったようだ。
アイヌのコタンはあまり多くなかったとされる。
十勝岳を水源とする富良野川は硫黄が含まれ、水質は人間の営みにあまり適さなかったようだ。富良野の語源であるアイヌ語のフラヌイは「臭いを持つところ」の意を示す。
富良野の開拓がはじまったのは明治も半ばを過ぎてから。
1896年富良野原野の植民区画が設定される。空知川左岸は札幌農学校の学田となる。
翌年、現在の扇山地区に最初の入植。小さな市街地もできた。
この頃は下富良野と呼ばれ、現在の上富良野町・中富良野町とともに富良野村を形成していた。
歌志内・旭川両方面への仮設道路も開通する。
1899年東京帝国大学の演習林が設置された。
1900年上富良野~下富良野(現在の富良野駅)~鹿越間に鉄道が開通。市街地が扇山から駅前へ移転する。
1903年富良野村から分村し下富良野村設置。戸長役場を置いた。
1908年南富良野村を分村。
大正に入り1913年滝川~下富良野駅間鉄道開業。
下富良野は交通の要衝となり物資の集散地として発展していく。人口も1万人を突破。
1915年山部村を分村、同時に二級町村制施行。
1919年町制施行、1921年一級町村制施行と順調に発展。
1926年十勝岳噴火で泥流の被害甚大。富良野川は酸性化し農業に大きな影響。
1956年山部村から分村していた東山村と合併。
1966年再び山部村と合併、市制施行。
2.富良野市の産業
昭和40年頃より玉ねぎをはじめとした野菜の作付が増加していく。
多品目野菜産地となり、農業は現在も基幹産業である。
1972年ブドウの研究開始、補完作物/稲作転換事業としてワインの生産に取り組み始める。原料の調達から加工に至るまで市内で完結する重要な産業となった。
カントリーサインにもブドウと畑に立つワイン工場が描かれている。
観光も従業な産業だ。
ドラマ北の国からの舞台となった麓郷地区・同じく倉本聡脚本のドラマの舞台となった風のガーデンやニングルテラスにスキー場もある北の峰地区がメインの観光地。
近年は、町の中心にできたフラノマルシェが買い物から市街への回遊を目指して奮闘中だ。