空から日本を見てみよう ― 相模原市 ―

目次

 

1.相模原市

今日は2015年11月17日放送の空から日本を見てみようで紹介された神奈川県の相模原市について調べてみた。

wikipedia:相模原市

 

人口は70万人超。

市制は1954年施行。2006年相模湖町津久井町。2007年藤野町城山町を吸収合併。

2010年政令指定都市に移行。

 

2.相模原市緑区

3つある行政区のうち、西部にあるのが緑区

人口は約17万人。合併した4町はほぼ緑区に位置する。

 

 

相模湖町はダムによって相模川をせき止めた相模湖に由来する。

人造湖に○○湖と命名された最初の例となる。

同じく編入された旧津久井町は城山ダム、宮ヶ瀬ダムなど水源が豊か。

 

城山町・城山ダムは北条氏と武田氏が鎬を削った津久井城にその名を由来する。

遺構としては堀切や家老屋敷跡が残り、ハイキングコースにもなっている。

 

国道20号線江戸幕府によって整備された甲州街道をルーツとする。

宿場町の一つ小原宿は県内で唯一本陣の建物が残る。

 

 

藤野町にも吉野宿という宿場町があった。

かつて旅籠だった建物は、現在吉野宿ふじやという郷土資料館になっている。

 

区の大半が南部は丹沢山地、北部は秩父山に連なる山がちな地形。

丹沢山地は太平洋の南部にあった海底火山の噴出物からできた島が、プレートの移動で北上し日本列島に衝突。さらに後からやってきた伊豆半島の衝突によって岩体が隆起し丹沢山地を形成した。

 

3.相模原市中央区

相模川によって形成された扇状地が隆起してできた左岸の相模原台地に位置する。

特に河岸段丘が発達した場所。相模原台地は平坦だが、水利に難があり開発が遅れ原野の時期が長かった。相模原・相模野とはこの原野を指したものとされる。

 

人口は27万5千人ほど。

古代には川べりに集落があったとみられる。

田名向原遺跡からは旧石器時代から古墳時代までの住居や石器、古墳群などが出土している。

鎌倉時代には矢部氏の館があった。

近代、東京から近く平坦で地価が安かったことから陸軍施設が相次いで移転。

 

今昔マップより

現在のJR横浜線沿いには相模陸軍造兵廠が建てられた。

西門からまっすぐ伸びる道とそれに直交する道を基準にして区画整理が行われた。

敗戦後は米軍が接収し現在も使用されている。

 

4.相模原市南区

南区は3つの区の中で最も人口が多く、約28万人。

中央区と同じく左岸の台地上に位置する。

 

縄文時代の大規模な遺跡である勝坂遺跡は装飾的な文様の土器が発見され、勝坂式土器と命名された。

相模大野地区は市内で最も大規模な商業地域である。

市南部の玄関口として都市開発がされた。もっとも、隣接する町田駅周辺の方が規模は大きい。

 

5.愛川町

相模川右岸に位置する愛川町は人口約4万人。

 

大化の改新以前から地名の記録が残る古い地域。

戦国期には武田氏と北条氏の合戦の舞台になった。

戦前は陸軍の飛行場があり、周辺の市町村とともに軍事施設集積地の一つとなっていた。

米の収穫に適さず、江戸期から軽工業が盛んであった。軍事施設が工業団地に転換され現在も外国人労働者も多く働く工業地域となっている。

 

6.清川村

愛川町と同じく愛甲郡に属する清川村は人口3千人弱。

wikipedia:清川村

 

神奈川県で唯一の村でもっとも人口が少ない。

大半は中津川流域から宮ヶ瀬ダムにかけて居住している。

宮ヶ瀬ダムは洪水調節、水力発電を主な目的として1970年代に計画された。

建設に伴い集落が水没するため補償交渉から竣工まで30年近くの時間がかかる。

移転先は近隣のほかに厚木市の宮の里地区などが準備された。

完成後、インクラインを利用したケーブルカーを設置するなど関東屈指の観光ダムとして現在も人気を誇る。

 

地理院地図より1970年代の航空写真

 

相模川流域に住宅が並ぶ。

ダム建設によって千名以上が移転を余儀なくされた。