夕張市 ― 黒いダイヤから赤いダイヤへ ―

今日は夕張市について調べてみた。

wikipedia:夕張市

 

人口は約7千7百人。

 

市域はほぼ山間に位置し、人口は国道452号線~道道38号線に沿って集中している。

 

国道は市南部を東西に掠める国道274号線と、そこから北に向かって分岐する国道452号線が通っている。

 

明治初期より石炭の産出で栄え、炭鉱町の多かった空知地方でも屈指の規模を誇った。

地質学士ライマンの夕張川調査、坂市太郎の大露頭発見などによりいくつもの炭鉱が拓かれ人口も最大で11万人を超えていた。

それに伴い、鉄道路線も数多く敷かれる。

現在も残る石勝線だけではなく、江別方面へ伸びていた北海道炭鉱汽船による夕張鉄道、三菱石炭鉱業の三菱大夕張鉄道国鉄石勝線登川支線、JR石勝線夕張支線など石炭輸送を中心に市内を東西南北に渡って鉄道が網羅していた。

 

しかし、昭和30年代後半以降石油へのエネルギー転換、製鉄用コークスなどの需要不振、炭鉱のガス事故、海外資源への転換など炭鉱を経営する環境は厳しさを増し、ついに1990年に炭鉱はすべて閉山。鉄道路線も石炭産業の斜陽化に合わせ少しずつ廃線が進む。2019年には市内の人口集中地を走っていたJR石勝線夕張支線もバス代替となり廃線となった。

 

現在も残る新夕張駅は特急も止まる駅ではあるが、市の南端に位置し市中心部からはかなり距離がある。道の駅も新夕張駅の近隣に設置された。

 

かつて黒いダイヤと呼ばれた石炭と炭鉱にまつわる施設がいまもいくつか保存されている。石炭博物館は財政破綻した夕張市の歴史と再生への願いを込めてリニューアルされた。営業再開早々に模擬行動の火災が起き、前途多難な船出となってしまったが石炭産業の展示としては世界的にも規模の大きなものであり、貴重な史料となっている。

 

炭鉱閉山後は観光にシフトするも、経営はうまくいかず。現在も残る施設は少ない。

その中で息が長く続いているのが映画関連であり、映画祭やキネマ街道、幸福の黄色いハンカチ思い出広場などは今でも楽しむことができる。

映画祭は2019年まで冬季に行われていたが2020年からは夏季に変更。

 

石炭の採掘のために拓かれた山間の町のため、農業に適した土地は少ない。

その中で全国区の知名度を手にしたのが赤いダイヤとも呼ばれた夕張メロン

青い果肉のメロンが全盛の時代に赤い果肉で勝負するという勝ち目のなさそうな戦いであったが、徹底した品質管理、著名人による宣伝(円山球場でホームランを打ったプロ野球選手への賞品となり、現役時代の王貞治選手が夕張メロンはたいへん美味しい旨の発言をしたことがマスコミに取り上げられたらしい)、そして日本初とも言われる産地直送システムの成功によって日本を代表するメロンとなった。

 

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カントリーサインにもメロンが大きく描かれている。

他はスキー場のリフトと今は亡き石炭の歴史村という観光施設。

 

新しい夕張のシンボルとして期待されるのが近年完成した夕張シューパロダム。

日本有数の面積を持つダム湖と巨大なダム周辺をレジャースポットとして開発の予定があるがもう少し時間がかかりそう。