目次
1.当別神社
伊達記念館の見学を終え、道路向かいにある当別神社に立ち寄ってみる。
大きな鳥居と立派な石柱の奥に本殿が建っている。
明治五年、仙台藩一門岩出山領主伊達邦直が家臣と共に当別に移り、開拓記念樹の傍らに阿蘇神社を創建した。
伊達邦直の逝去後、村民の厚い敬慕の想いから邦直を氏神とした当別神社に改称、現在に至る。
邦直は開拓の指導だけでなく優れた教育者であり、歌にも才があったため、学問・文芸にご利益があるとか。
2.阿蘇公園
神社に隣接する阿蘇公園。遊歩道や広場があるのでこちらもちょっと寄ってみる。
伊達邦直が最初に創建した阿蘇神社。町の北部にある阿蘇岩山が由来とネットで見たが真偽は不明。
おそらくそれが由来で公園名が阿蘇公園になったと思われる。
鐘のついたモニュメント。
時の総理大臣、中曽根康弘が題字を記した。
別なモニュメント。
実はてっぺんに当別町の町章である「と」をモチーフにしたマークがデザインされている。
広々として長閑な公園。犬の散歩をしている人も多かった。
花火大会など町のイベントが開催される憩いの場。
3.江当軌道
次は駅前通りに場所を移して探検。
かつて通っていた江当軌道の当別駅跡に案内板が立っている。
1925年当別村 - 江別町間で軌道による旅客及び一般貨物の運輸、それと倉庫業の経営、ならびに乗合自動車での旅客運輸を目的に設立。
もとは馬車鉄道として1925年特許状が下付されており、1926年動力を蒸気へ変更することを申請し、1927年開業。
地域の交通手段や農産物・木材・砂利の輸送として利用された。
冬期は積雪のため運休しており、馬橇を使用。
江別では石狩川、当別では当別川に遮られ両市街地に乗り入れることができなかった。道庁では国鉄と接続しないことを危惧し会社に石狩川を渡るように指導したが架橋する余力などなく、また石狩大橋を鉄道道路併用橋にするのには幅員が不足。
今昔マップで1950年頃の地図と比較。
現在は直線に流れている当別川だが、当時は蛇行しており、この案内板が立っている場所も市街の対岸に位置していた。
当時の流路は旧当別川として痕跡が残っている。
1934年に札沼南線が開通し現当別駅が開業すると、貨客とも大幅に減少し営業が成り立たない状況におちいり、1936年に廃止される。
当時駅付近に建っていた倉庫の名残。ここは野菜や食品の販売店になっている。
こちらは現役の倉庫として使用されているようだ。