目次
1.石狩八幡神社
某月某日、天気が良いので一人でドライブへ。
この日は石狩川の河口付近を周ってみる。
まずは、国道231号線を北上し道道225号線に入って、かつての石狩の中心部へ。
海水浴シーズンでもないのにやたらと車が混んでいる。
何かと思ったらお祭りをやっているらしい。
はまなすの丘公園の近くに臨時駐車場があったので、そこに車を停めて散歩がてら歩いて市街地へ行って見る。
最初に寄ったのは石狩八幡神社。
この辺りがお祭りの端っこだった。
石狩八幡神社は幕末に右岸側に設置されるも、建設は進まず。
役人の詰所も右岸にあったらしい。
明治初期にこの地に移転してきた。
狛犬。
鳥居から。
元々建立された地は現在八幡町という地名になった。
この八幡神社の名残なのだろう。
明治後、漁業の繁栄や官吏の往来も多かった左岸に移ってきたそうだ。
2.弁天歴史公園
続いてやって来たのは弁天歴史公園。
広場の横には石狩弁天社。
江戸時代松前藩によって建立された市内で最も古い神社だ。
元々は現在の石狩八幡神社のある場所に建っていたが、八幡神社の移転に伴い場所請負人である村山家の所有地に移転してきた。
上記の鳥居は移転せず、そのまま今も使われている。
公園の敷地はかつて石狩医院が建っていた場所。
サケ漁の様子や武士の姿を描いた先人たちの碑や、復元された運上屋が建っている。
お祭りなので凄い人。
横に長い木造の建物で、入ってみるとかなり広いはず。
唯一現存している運上屋の建物が余市町にある。
運上屋とは松前藩の出張所のようなもの。
アイヌとの交易や旅人の宿泊所などの役割があった。
人が多くて入るのをやめてしまったので(今になって後悔)
詳細は公園のホームページを見てみよう。
ジオラマ、古地図、絵巻などの資料やそれらの説明が展示されている。
17世紀後半にはシャクシャインの乱や水戸光圀の快風丸の航海などで石狩のことが江戸に知られるようになった。
18世紀に石狩十三場所の中心となり運上屋が設置。上流では木材の伐採が盛んとなり集積地になる。
幕末の時点では百戸ほどの家が建ち、色々な職業の人が住んでいたようだ。幕府の役人が詰めている勤番所もあった。
3.石狩川河口渡船場跡
ここでちょっと市街地から離れて川沿いへ行って見る。
橋が架けられる前はこの辺りに渡船場があった。
説明板も設置されている。
日本海沿岸を結ぶ道路の一つとして昭和30年代には国営化された。
カーフェリーも運航し、1978年まで稼働していた。
右岸の渡船場はここ。同じ説明板が立っているそうだ。
現在の川岸。小さな船着場が並んでいる。
徒歩ではいけないようになっているが、おそらく渡船場の遺構。
コンクリートらしき構造物が見える。
当初は冬の間氷橋をつかっていたようだが、1959年鉄製の船が就航し通年運航可能に。
上流側。広い川幅をゆったりと水が流れている。