目次
1.石狩橋本駅跡
市街地を通り抜け国道451号線との交点を左に曲がりちょっと寄り道。
駅の遺構はすでになく、田園に囲まれた小さな住宅街に変貌。
上の写真は駅前通りにあたる道。
線路も道路に変わり、上の道から一本西側の道が駅と線路跡。
駅跡を示すのはお決まりの農業倉庫。
こっちは年季が入っていそう。白い壁の左半分は増築か修繕したのか。
農作業用の機械が並ぶ。新十津川町は道内でも有数の米どころ。
2.石狩橋本駅と近隣の歴史
明治中頃の奈良県十津川村の水害で北海道へ集団移住してきた人々が開拓を行った新十津川町。
1902年石狩川に橋が架かり、その橋の袂であった橋本町は交通の要衝となって町の中心になる。
石狩橋本駅は1931年札沼北線の石狩沼田駅~中徳富駅(後の新十津川駅)間開通に伴い一般駅として開業。
町名を冠する新十津川駅の名称を巡って石狩橋本駅と中徳富駅間で争いも起きたようだが、結局開業時はどちらも地名を称することとなった。
石狩橋本駅は橋本町の中心部ではなく、距離の関係からやや北外れの高台に設置されたようだ。
鉄道の開業により町の中心は橋本町から中徳富駅付近に移って行く。
町役場や産業組合も移転していった。
第二次世界大戦の激化によって札沼線は不要不急線と判断され休止の憂き目にあう。
1953年浦臼駅~雨竜駅が復活しようやく営業再開。
1960年代の国土地理院地図の航空写真
線路東側にある駅舎他鉄道用地は住宅に変わった。
南側の貨物ホーム傍に現在も農業倉庫が建っている。
1970年代の国土地理院地図の航空写真
駅舎周辺は面影が残るが、駅の南北の線路はすでに撤去されている。
北側の新十津川神社の敷地と農地の区切りが線路跡である。
駅西側の製材工場は戦後まもなく建てられたそうだ。
3.新十津川神社
せっかくなので新十津川神社の社殿も歩いてみる。
石狩橋本駅跡から国道451号を挟んで反対側に位置する。
鳥居から社殿を眺める。
集団移住から間もなく、故郷奈良県の玉置神社から分霊。
水害を避け、この地に移転してきた。
国土地理院地図の色別標高地図を見ると、確かにこの辺り高台になっている。
石狩川と徳富川の合流部近く、舌状台地のような地形になっていた。
大水害によって遠く離れた北海道へ集団移住する羽目になった人々にとって、故郷と現在を繋ぐ大切な神社が水害の被害を受けないように最大限配慮することは当然だろう。
開基百年記念碑。
普段お神輿を納めているらしい石倉。
鳥居から少し離れた場所に神社名の石碑と参道らしき路。
元々はこちら側が参道で、1990年代に改修工事があったそうだ。
1970年代の航空写真。
折れ曲がった参道が確認できる。