札沼線廃止区間を行く ― 碧水駅 ―

目次

 

1.碧水駅跡

札沼線跡巡りも愈々大詰め。

 

道の駅から北へ向かうと碧水(へきすい)という小さな集落に到着。

ここに碧水駅があったのだ。

 

 

駅跡の敷地はクボタの営業所となっている。

 

 

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駅跡は物置となっている。

当時のものかわからないが、ひらがなで「へきすい」と書かれた駅名標が残っているのが嬉しい。

 

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営業所の入り口側には重機が並んでいる。

後ろにあるのが物置となっている碧水駅舎。

 

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近くにはお約束の農業倉庫。

碧水は国道275号と国道233号が交差する交通の要衝であった。

 

この先、札沼線は沼田町に入る。

北竜駅跡

 

 

そして五ヶ山駅跡

 

 

そして石狩沼田駅へと続いていた。

 

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駅の痕跡は確認できそうにないので、ここで終了することにする。

いつか機会があれば今回訪れなかった駅にも足を向けてみよう。

 

札沼線、そして石狩沼田駅を含む留萌本線も存続が難しい状況になっている。

まだ来たことのない鉄人たちはお早めにどうぞ。

 

2.碧水駅の歴史

この辺りも、南隣の中ノ岱駅付近と同じく渡辺農場→板谷農場の手によって開拓が行われた。彼らが開いた地は現在の桜岡~碧水付近となる。北竜町内の国道275線近隣の地は殆どと言っていいだろう。

 

碧水駅は1931年石狩沼田~中徳富駅開通時に一般駅として開業。

1944年第二次世界大戦激化に伴い、不要不急線として営業休止。

1956年営業再開。1面1線のホームと貨物用引込線があった。

 

1960年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

駅前には大きな建物が幾つか。おそらく農業倉庫だろう。

 

1972年新十津川駅石狩沼田駅廃線に伴い廃駅となった。

 

3.板谷商船

北竜町の開拓に大きく関わった板谷農場。

母体は小樽の板谷商船という海運会社であった。

 

初代の板谷宮吉は新潟出身。

1875年頃小樽の海産物商に奉公する。

その後独立し、さらに小型汽船を購入。倉庫・販売など海運の関連事業を営んだ。

1912年板谷商会を設立。北竜町の開拓が始まった当時経営していたのはこの初代宮吉である。海運、農業の他にも鉱業・漁業など手広く手掛け、樺太銀行設立・頭取も務めたそうだ。

 

2代目も同名の宮吉さん。

経営を引き継いだ後は事業の他に貴族院議員就任、小樽市長なども務め小樽市の振興に寄与した。

 

板谷邸は小樽に数多い歴史的建造物の一つ。

 

観光客の多い堺町通の裏手にある崖上に建っている。

現在は海宝樓という宿泊施設に生まれ変わった。

 

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