目次
1.上徳富駅跡
新十津川神社を発って北上を続ける。
駅名は上徳富だが、住所表記は新十津川町大和。
駅のあった敷地は民家の畑になっている。
奥には倉庫がある。古そうだが建てられたのは廃線後のようだ。
駅舎後のやや南側にはお決まりの煉瓦造りな農業倉庫。
駅舎は2008年頃まで残っていたようで、農機具倉庫に使われていたが老朽化のため取り壊されたそうだ。
その代わり、駅舎北側にあった職員官舎が民間に払い下げられてまだ残っている様子。
2棟とも官舎なのか、リフォームしているのかよくわからないがだいぶん年季が入っているのは確か。
田んぼじゃなくて畑なのか。それともこれから水を張っていくのだろうか。
マンホールは雨を喜ぶカエル。
下水道整備→自然保護→若者が帰る→町が若返るという意味を込めているらしい。
2.上徳富駅の歴史
上徳富駅は1931年石狩沼田駅~中徳富駅間開通に伴い、一般駅として開業。
1943年第二次世界大戦激化により不要不急線として休止。
1953年浦臼駅~雨竜駅間開通に伴い再開。
1960年代の国土地理院地図の航空写真
駅舎の北側が官舎、南側は貨物ホームを持っていた。旅客は1面1線。
今も残る不自然な斜めの道は線路に平行に走る道路であった。
感謝のすぐ北側には大和中学校があった。
元々は上徳富中学校で1968年、ちょうどこのころ地名改正で大和中学校と改称したらしい。そんなわけで駅名は上徳富駅だったのだ。
1970年代の国土地理院地図の航空写真
線路はなくなったが、駅付近の施設は残っている。
鉄道関係用地はこのままの区割りで今も残っている。
大和中学校は1971年閉校。すでにグラウンドは自然に返りつつある。
現在は中学校の建物も取り壊され、跡地には大和区自治会館が建っている。
3.北上徳富駅
ここは農地の真ん中で何も遺構が残っておらず、付近の人の邪魔になってもいけないので立ち寄らず先を急ぐことにした。
一応ストリートビューではこんな感じ
稲がすくすくと伸びている。
旅客のみの取扱いだった。
1960年代の国土地理院地図の航空写真。
わかりにくいが道路と線路が斜めに交差する部分の右下が駅部分かと思われる。
1面1線構造で待合室はなかったのかもしれない。
1970年代半ばの国土地理院地図の航空写真
既に跡形もなく姿を消している。
路盤も完全に農地に飲み込まれていた。