目次
1.月形町の概要
今日は月形町について調べてみた。
人口は約3千人。
石狩川右岸に位置し、水田が広がる町だ。
町の始まりは1881年の樺戸集治監の建設に始まる。
当時無人の原野であったこの地は東西を山地と石狩川に挟まれ、南北は泥炭地のぬかるみで道路の開削もままならない陸の孤島であった。
囚人と職員及びその家族によって、突然2千人の集落が誕生することとなる。
集治監とは西南戦争などで生まれた国事犯の収容及び北海道の開拓を担う施設である。
初代典獄(所長)である月形潔の名は町名の由来となった。
囚人は周囲の開拓や道路の開削に勤しみ、開拓した地にそのまま居つくこともあったが、多くは劣悪な環境に耐えられず命を落としたようだ。
集治監の設置と同年、戸長役場が設置され月形村となる。
囚人が開拓した農地は徐々に民間へ払い下げられ、人口が増える。
最初の払い下げは1887年、現在の知来乙地区を新潟の北越殖民社だった。
1899年、浦臼村が分村。
1903年、二級町村制施行。
この頃になると開発も進み、集治監の開拓が殖民を阻害するようになってくる。
囚徒も減少し、全国で監獄の再整備が行われた。
そして1919年樺戸集治監は廃監となった。
一方殖民は着実に進む。また、集治監の御用商人達が徐々に商家へと転換し明治~大正期にかけて市街地が形成された。
1953年町制施行。
1973年月形学園(少年院)が設置。
1983年に東京中の刑務所の廃止・移転に伴い月形刑務所が新設。
小さな町に二つの矯正施設が配置される、全国でも極めて稀な例であった。
2019年施設の老朽化・収容人員の減少で月形学園は廃止となった。
近年は農業が主幹産業。メロンや花卉などが主産品でありカントリーサインにも描かれている。
2.月形町の交通
1935年町内を南北に縦断する札沼線が開通。
町内には5つの駅(月ヶ岡駅、知来乙駅、石狩月形駅、豊ヶ岡駅、札比内駅)が設置されていたが利用者減少により2020年廃止となった。
鉄路に並行するように国道275号線が町内を南北に走っている。
かつて集治監が設置された頃は、交通手段は船しかなく対岸の北村や江別へとつながる航路が昭和に入るまで維持されていた。
3.月形町の観光
市街地にはかつての樺戸集治監が月形樺戸博物館と名を変えてミュージアムとなっている。近隣には月形潔上陸の地や監獄波止場、樺戸神社の高見張跡、集治監上水道遺跡など関連地に記念碑が建てられている。
近年は漫画ゴールデンカムイでも脚光を浴びている。
市街地の背後にある円山は町内を一望できる展望台と集治監の囚人たちが植えた杉林が 開拓の縁を残す。
集治監の社交施設であった階楽亭は現在皆楽公園に姿を変え、釣りやキャンプのレジャースポットに。
さらに樺戸山地には森林学習センター、キャンプ場などを備えた道民の森が当別町と共に設置され、人気を集めている。