目次
1.石狩月形駅
隣は月形町。
まっすぐ石狩月形駅へ。
月形町の中心部にある駅だが、駅前は静かな雰囲気。
ただ、札沼線にあっては珍しい有人駅である。
西日がまぶしい時間帯。
200万都市札幌から1時間程度電車に乗れば、まるでタイムスリップしたかのよな風景に変わる。
2.わがまちご当地入場券
入場券は石狩月形駅ではなく、札沼線屈指の秘境駅として知られる豊ヶ岡駅。
駅スタンプも森の中の駅にやってきた車両と写真そのまま。
JRさん、この売れ行き好調なのであれば、数年後で良いので1自治体1種類に限定せず、複数作っても良い仕組みにしたらどうですかねえ。
裏面には近隣の博物館、樺戸集治監と月形町の名の由来となった人物、月形潔の写真。
集治監とは刑務所で月形さんは初代典獄。今でいう刑務所長だった。
それが縁なのか現在でも月形町は刑務所と少年院がある。
北海道の開拓の歴史には囚人の労働も切り離せない要素である。
刑務所の博物館というと網走が有名だが、この博物館もなかなかの評判である。
そして、ここで長かった1泊2日の気ままなドライブも終わり、家へと帰るのであった。
3.石狩月形駅と近隣の歴史
月形町の中心地に位置する石狩月形駅。
その開拓の歴史はまず1881年に開庁した樺戸集治監に始まる。
アイヌの人々が時折狩猟に訪れる程度のほぼ無人の原野であったこの地に政治犯などを収容する集治監が建設される。1903年に集治監制度が廃止、その跡を継いだ樺戸監獄が1919年に廃監となるまでこの地を象徴する施設であった。
石狩川と樺戸山地に挟まれ、脱獄が難しい。一方で石狩川の水運が物流に適し原生林の豊富な木材の利用が見込め、河川流域は肥沃な土地が広がっているという地形的理由からこの地が選ばれる。囚人たちにより原野の開拓や道路の開削が行われ、集治監を中心に徐々に町が出来上がる。
後の国道275号や美唄市峰延への道路などが囚人によって開削されるも、泥炭地に引いた道路のため、当時の技術では冬など使い物にならない道路であったようだ。
そのため冬季などは陸の孤島に近く鉄道開通は住民の願いであった。
そして、ついに石狩月形駅が1935年石狩当別駅~浦臼駅の開通に伴い一般駅として開業。
1943年第二次大戦の影響で当駅~石狩追分駅間が休止、さらにその翌年石狩当別駅~当駅間も休止となる。
1946年営業再開。1979年に貨物取扱中止、1986年出改札要員配置廃止、運転要員が出札業務担当となる。
2020年4月17日最終運行、5月7日札沼線の廃止に伴い廃駅となった。
1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。
駅構造は1面2線ホーム。駅舎側には貨物線も引かれている。
駅舎札幌側に貨物積卸場があった。貨物廃止後は保線車両用線となっていた。