札沼線廃止予定区間を行く ― 知来乙駅 ―

目次

 

1.知来乙駅

国道275号月ヶ岡駅付近から東へ方向を変える。

程なくして道道11号との交差点。

ここで左折して国道から少し離れたところが、次の目的地の知来乙(ちらいおつ)駅。

 

 

この駅も戦後の1958年に開業。

当初より旅客扱いのみであった。

 

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木造の待合室が設置されている。

駅舎ではないので、駅名の表示がない・・ということだろうか。

 

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待合室横には散り始めた桜の木。

 

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ホームには駅巡りを楽しんでいるのか?

若者が数人いたのでこの辺りでとどまった。

  

隣は石狩月形駅だが、一度訪れたことがあるので今回はパス。

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秘境駅として有名になった豊ヶ岡駅へと向かう。

 

2.知来乙駅と近隣の歴史

原生林であったこの地を開いたのは樺戸集治監の囚人たち。

明治20(1887)年に新潟出身者で形成された北越殖民社へ払い下げられる。

しかし、開拓はうまくいかず個人が所有する地域となった。

 

その後北海道製麻の製線工場が明治29(1896)年に開業。

当時の北海道では軍服や幌などに使われる軍需用麻製品の生産に力を入れており亜麻栽培も盛んであった。

亜麻の茎から繊維を取り出すのが製線工場。月形で一次加工を行い、石狩川の水運を使って札幌の製麻工場に出荷されていた。

 

工場があったのは現在の知来乙262~264番地付近。

 

コンビニや研修センターなどがある、いびつな形の区画割のあたりが工場のあった場所。 周囲は麻畑となり、現在の麻生という地名の由来となっている。

 

麻生地区

 

 

 

1907年北海道製麻は日本製麻と合併し帝国製麻と名称変更。

さらに1941年帝国繊維と改称。

戦後1950年代頃から化学繊維の台頭により1965年工場閉鎖となる。

北海道各地で行われていた麻の栽培もこの頃にはほぼ絶えていたと思われるが、札幌や江別など各地の地名に名残が残っている。

帝国繊維はその後防災事業などを主に現在も化学繊維製品の製造を続けている。

 

さて、上でも述べたが知来乙駅は1958年旅客のみ取扱いの駅として開業。

南隣の月ヶ岡駅と同時に開業となった。

この当時に人口が飛躍的に増えたわけではないと思うが、地元の請願があったのだろうか。

月形と石狩市厚田を結ぶ道道11号線と札沼線が交差する地点に設置された。

2020年5月7日をもって廃駅。

 

1970年代の国土地理院地図の航空写真。

 

周囲は農耕地に囲まれ、今も景色は変わっていないようだ。

 

知来乙という不思議な地名はアイヌ語で「イトウ(魚)が群来するところ」というような意味らしい。

駅から少し北に行くと須部都(すべつ)川という町内では大きめの川が流れている。

明治以前にはもっともっと大きな川でイトウの群れが悠々と泳いでいたのだろうか。

 

駅から少し東へ行くと知来乙小学校があったが、2006年閉校となった。

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