目次
1.豊ヶ岡駅
月形町の市街地付近にある石狩月形駅はスルーしてさらに先へ。
田畑と林が混じりあっているような辺りで左折。
小さな道を進み、さらに脇道へ。
車はこの辺りに停めて、ここからは徒歩。
森の中に小さく見えるのが豊ヶ岡駅。
踏切を渡って到着。
国道275号から結構距離がある。
元々は月形炭鉱の積出駅として設置された。
炭鉱との間には索道もあったらしい。その後付近住民の請願により旅客扱いが開始されたそうだ。
知らない人には駅には見えないだろう。知らない人がここに来ることはないと思うが。
この駅名標は道内屈指の味わい深さ。
駅内には道内の観光パンフレットや駅ノート。
駅内には豊ヶ岡駅の写真が。
所狭しと(除雪道具と一緒に)
掲示されている。
この写真にはこんな物語が。
外へ出て、ホームに向かう。
板張りだが、わりと新しい。
後ろは崖になっている。
ここから暫くは鉄道林の間を進む。
2.豊ヶ岡駅の歴史
月形町史によれば元々はこの辺りも樺戸集治監の敷地であり、廃止後は三井物産へ払い下げ。
そして戦前に自作農地となり、1952年頃豊ヶ岡駅よりやや西にあった石炭の集積場へと月形炭鉱(1940~60年頃まで現在の月形ダム奥にあった)から索道で石炭を運び出し、留萌港へ運んでいたようだ。
1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。
線路北側、何もない更地になっているようなこの場所が、豊ヶ岡のホッパーなど炭鉱施設のあった跡らしい。
豊ヶ岡駅ができたのは炭鉱閉山のほんの少し前の模様。
炭鉱関連で働く人々も利用する予定があり駅の請願が通ったようだ。
しかし、当時羽幌炭鉱が営んでいた月形炭鉱の合理化などと国鉄の波長が合わず、結局月形炭鉱は閉山。
豊ヶ岡の炭鉱関連施設も需要がなくなり豊ヶ岡駅は札沼線屈指の秘境駅となった。
その後は近隣の農家の方や鉄道ファンが見守ってきたようだが、札沼線そのものがついに廃止決定。
2020年5月7日をもって札沼線廃止のため廃駅となった。
3.月形炭鉱
月形炭鉱は1907年頃に発見される。その当時は採掘に至らず。
1948年には寿炭鉱が月産20~30t産出するようになる。
1953年に日満鉱業が所有。日産100tまで拡大される。
その頃には集落もでき始め紅葉谷分校も設置された。
1954年に月形鉱業が権利取得。採掘は尾張組となる。紅葉谷分校が小学校に転換。
1955年に中学校が併設される。
最盛期には住宅が100戸以上あった。
月形市街地から山道を20kmの距離ということで、陸の孤島のような環境だったようだが、月形町史には当時の生活を振り返る談話も載っていた。
炭質が向上せず1958年に経営不振で羽幌鉱業が買収。
状況は改善しないまま1963年に閉山となり同時に学校も閉校。
現在は1965年着工、1976年竣工の月形ダム奥の林道にわずかな痕跡が見られるようだ。