札幌史跡探訪 ― 創成川点描 ―

目次

 

1.創成川公園

ビルに囲まれた札幌市の中心部だが、憩いの地として市民や観光客が訪れる公園がいくつかある。最も有名な大通公園、すすきのの外れにある中島公園、そして川沿いに整備された創成川公園だ。

幕末に用水路として掘削された大友堀を明治期に延長・改修し創成川と改称。

川に沿って整備された遊歩道を天気が良かった日に散歩してみた。

 

2.創成橋

明治43年に建設された創成橋を近年復元。

日本橋と同時期に、当時モダンだった石造りアーチ橋が架けられた。

それまでは丸太を並べ板を敷いた橋だったが、洪水で流されてしまったそうだ。

後ろに見えるのはテレビ塔

 

 

 

創成橋遠景。緑の木々に囲まれている。

 

道路を渡ると二条市場

明治初期から市民の台所として100年以上の歴史を持つ市場。

近年は北海道土産を求める観光客にも人気だ。

 

遊歩道は川面から少し高い位置にあり、自転車は通行禁止。

 

3.モニュメント

創成川は札幌の街づくりにも関わりが深く、歴史を示すモニュメントもいくつか。

創成橋の袂にも目立つ石柱が建っている。

北海道里程元表。北海道の道路の起点がこの位置であることを示している。

 

当時の元票には駅など交通の要所までの距離が記されていた。

高さは350cm超で、その頃は高い建物がなかったため、遠くからやってきた旅人の目印になったようだ。

 

隣には人の指を象ったモニュメント。

 

これは札幌建設の地碑。

この地は銭函~千歳と藻岩山麓~篠路の交差点にあたり、町割りの中心となった。

昭和41年までは、そのことを示す粗末な石が置かれていたそうだが、地元町内会によってこのモニュメントが建てられた。

 

創成橋復元の意義を記したプレート。

一部コンクリートが使用され、石造りから鉄筋コンクリート製へ変化していく過程を示しているとのことだ。

 

日本土木遺産にも認定されている。

 

 

3.創成川通り西側

遊歩道から離れ、西向の通り沿いにも史跡がチラホラ。

 

テルモントレ エーデルホフはかつて営林局庁舎の敷地だった。

 

1993年の移転時に、多様な樹木が生育していたが、現在もできるだけ保全に努めており、誰でも通って眺めることができるようになっている。

大きなエゾヤマザクラの木。

 

続いてANAクラウンプラザホテルは新渡戸稲造の居住地だった。

この一角は札幌農学校の官舎で、新渡戸稲造のほかにも宮部金吾やお雇い外国人なども居住していたそうだ。

 

 

 

 

4.飯沼貞吉の碑

最後は南にぐっと戻って、創成川から少し離れた場所。

 

 

幕末会津藩の白虎隊唯一の生き残りで、工部省に努めた飯沼貞吉の碑。

 

明治後期、北海道に勤務し電信電話の普及に努めた。当時の住まいにゆかりの地の石碑が建てられた。

白虎隊の悲劇の際に一命をとりとめ、長州軍の兵に養育されたが、当初は素性を隠し家族にも生存のみを知らせていたという。