札幌史跡探訪 ― 篠路の歴史 ―

目次

 

1.篠路神社

篠路駅のそばをもう少し回ってみる。

まずは篠路神社。

 

 

由緒は幕末までさかのぼる。安政4年に函館奉行石狩調役の荒井金助によって社殿が造営され、村の氏神となった。札幌市内で最も古い神社とも言われる。

昭和初期に村社となる。

昭和中期には烈々布天満宮、山口金刀比羅宮、太平神社、拓北伊夜日子神社を合祀。

鳥居も結構大きいが、それよりもさらに背の高い樹々が並ぶあたりに風格を感じる。

 

2.旧琴似川

鉄道とつかず離れずの距離を取りながら北へ進む道に沿って自転車を走らせる。

やがて小さな橋に到着。

河畔林保全区域の看板があった。

 

このすぐ先は伏籠川との合流地点

 

河川の名称は旧琴似川。

かつて琴似川は宮の森~二十四軒・八軒~栄町~篠路という流路であった。創成川や新川の掘削後、琴似川上流部は新川水系となったが、かつて石狩川水系だった下流は旧琴似川として今も伏籠川に注いでいる。

 

橋の名前は第一五ノ戸橋。

五ノ戸とは現在の上篠路地区にあった地名

最初の入植者が5戸だったから、青森県の五戸地区から入植してきたからなど地名の由来には諸説ある。

五ノ戸方面への最初の橋ということで、第一五ノ戸橋なのだろうかと予想。

 

今昔マップより

1950年頃までは五ノ戸という地名が地図上に残っている。

今は五ノ戸の森緑地という公園にその名残があるようだ。

 

3.龍雲寺

第一五ノ戸橋のすぐそばにある龍雲寺。

 

 

門のすぐそばに大きな銀杏の木があった。

 

樹齢100年を超えると言われる大木。緑に包まれまだまだ元気そう。

 

龍雲寺は、上で述べた荒井金助の家族ゆかりの寺として私的に建立されたのち、1886年に寺号公称された。旧本堂は開拓の村に移設されるなど歴史の古い寺院だ。

 

門から中に入ると、篠路の開拓に尽力した荒井金助と早山清太郎ゆかりの地、と記された石碑があるらしい。勝手に入っていいかわからなかったので見学はせず。

 

4.篠路開拓の歴史

上に出てきた荒井金助は公務でありながらも、私費で入植する農民を募って荒井村を開基。篠路地区の開拓に励んだ。

戊辰戦争などで、幕府の開拓は頓挫。荒井村も廃村となったが早山清太郎は一人開拓を続け、明治政府からも名主として認められる。

開拓判官島義勇からも信頼され、道路や河道の開削に貢献。

篠路だけではなく東区の元村街道や当別~樺戸集治監間の道路開通にも尽力した。

 

ノロ開村発祥地の碑。開拓の由来が記されている。

龍雲寺の向かいにあるこの地は早山家の邸宅だったようだ。

 

隣には馬頭観世音の碑。

 

1889年現在の屯田地区に篠路兵村開基。

1906年、北海道二級町村制施行時に正式に篠路村として発足。

この時、屯田兵村は分離して琴似村の大字となった。

1955年札幌市と合併し現在に至る。