札幌史跡探訪 ― 公園巡り ―

目次

 

 

1.苗穂神社

この辺りでななめ通りから少し離れて、東へ行ってみる。

まずは苗穂神社。

 

 

1898年創立。ここもまた百年を超す歴史を持っている。

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道路沿いの大きな鳥居は写真に収めきれず。

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珍しく狛犬も写真に撮ってみた。

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狛犬もじっくり見ればそれぞれ個性があるのだろう。

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境内には岩田徳治翁の顕彰碑も建立されている。

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現在の岩田地崎建設創始者

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札幌市内の一条大橋・南九条橋・五輪大橋、市街では奈井江大橋、夕張橋、中川橋、古平橋などを手掛け「橋の岩田」と呼ばれた。

 

その他にも札幌市役所庁舎、札幌市青少年科学館、北海道立図書館などの建設に携わった。顕彰碑は1982年に建立。

その後地崎工業を合併し、現在は岩田地崎建設株式会社となっている。

 

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岩田徳治翁の経歴。市議会議員も務め、札幌オリンピックにも寄与した。

 

2.伏古公園

次はすぐ北にある伏古公園。

 

 

1979年開園。かなり広い敷地の地区公園。

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木立に囲まれた芝生と小高い山。

 

コンビネーション遊具も充実。

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このすぐ裏手は札幌小学校。

歴史の古そうな名前だ。

芝生広場は雨水の貯留施設になっている。

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さらに貯水槽からの給水所も。防災を目的とした施設を兼ねているのだ。

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今昔マップより

1916年の地図を見るとこの辺りは伏籠川が大きく蛇行している部分。

この川のほとりに小学校が建てられていた。農地としては利用しにくかったのだろうか。水害がちょっと心配な立地。

 

札幌小学校は当初寺子屋として創立された後、1908年札幌村第一尋常小学校として創立。1955年札幌村と札幌市が合併し札幌市立札幌小学校に改称。

札幌村とは現在の東区にあたる部分。

江戸時代に開拓が始まったななめ通り辺りを元村、それ以降に開発が進んだ高速道よりやや北側部分は新村と呼ばれていたようだ。元村地区の大半は現在元町という地名になっている。

 

3.美香保公園

最後に伏古公園から大きく西に回って美香保公園へ。

 

1928年開園の都市公園

宮村・柏野・大塚の3氏が地域のため私的に土地を造成し公園を作った。

3氏の頭文字をとって美香保公園と名付けられた。

当初はミカオであったが、漢字に引っ張られたからかミカホと呼ばれるようになる。

現在はこの辺り一帯も美香保という通称で呼ばれている。

 

公園北側にあるのは体育館。五輪マークが描かれている。

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札幌オリンピックフィギュアスケート会場として建設された。

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微かに見える銅像はオリンピック記念に作られた聖火を持った男の像。

 

 

この公園も伏古公園と同じく雨水の貯留施設。

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芝生広場と木立。その向こうには遊具コーナー。

 

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そして築山。伏古公園と似た構成だ。

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美香保公園は戦時中、軍の用地となっていた。

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戦後施設が撤去された際に、費用の関係で残された高射砲の台座。

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公園南側、B野球場のそばにひっそりと佇んでいる。


今昔マップを参照。

 


1916年・35年の地図では周囲は農場になっていた模様。

16年の地図には札幌興農園とあるが、これは種苗農機具の販売会社。店舗は別にありおそらく種苗農場だったのかと思われる。

さらに札幌馬車鉄道も確認できる。篠路・花畔で栽培された亜麻を帝国製麻会社へ運び、札幌中央部と石狩川水運をつないでいた路線。

後に馬車からガソリンカーに転換するが札沼線開業時に競合となり1935年廃止となった。運営していた札幌軌道はバス会社に転換、戦後北海道中央バスと統合。

 

1940年代後半の航空写真では住宅もあるが、まだまだ農地が多い。